褶曲としての主体化(下)

文字数 1,535文字

ドゥルーズはフーコーを論じるとき、指標となるのは「知」「権力」「主体」だ、としたわ。「知」とは言表と可視性から形成されるもの。このふたつは相互外在的であり、このふたつの還元不可能なせめぎあいが「知」を形成する。じゃあ、両者に働くなんらかの力関係とはなにか? その両者が接触する〈場〉を考察するため、フーコーは「知」の前提である「権力」の分析に向かう……ッッッ!
「権力」の永続的な生成こそ、「知」を成立させる契機だったのよ。これは「権力」が常に「知」を逸脱する外にあることを意味するのであった!〈抵抗〉という権力の〈属性〉は、そのまま生の要求に繋がる。この外からの力である〈抵抗〉から内側への褶曲としての生、それが「主体化」なのであった! ……これが前回までのまとめよ。
このフーコーの権力モデルは「生権力」と呼ばれ、殺す権力ではなく、生かすための権力なの。そのうち別個で取り上げるかもしれないから、今回は深入りはしないわ。
生権力の考え方はドゥルーズ含めいろんな思想家に影響を与え続けているけど、ドゥルーズの弟子筋の、マイケル・ハートとアントニオ・ネグリの「〈帝国〉」や「マルチチュード」も、あきらかにこのモデルの影響を受けているわね。
さて。「主体化」とはどういうことか。まず、「主体化」と主体の差異を明確にするのですよ? 「主体化」は、外を折りたたんで内を構成する作用のことなのです。そうしてつくられた襞は、自己関係となった力が潜在するのです。この力から抽出される外の派生物が、主体なのです。
主体は襞ができる〈外と内という〉場所を生きるのだから、たえず自己同一性への抵抗となってあらわれるのです。「主体化」とは、この主体の新たな生の様式を求めるプロセスであり、それは内において未来を到来させる〈時間〉のことなのです。
主体は過去を思考し、未来を思考するために現在に抵抗するのです。そのすべては、この〈襞〉から始まる、とドゥルーズはフーコーを読んで、言います。襞のおかげで時間は解放され、別様に思考することが可能になり、ボクらの生は賦活されるというのです。
フーコーにとって、思考の意味への徹底的な問いは、新しい生の思想となって結実した、とドゥルーズはまとめるのでした。おわり。
自己同一性の話。フーコーは『性の歴史』という大著をつくっている途中で死去してしまい、第一部『知への意志』第二部『快楽の活用』第三部『自己への配慮』までがつくられ、『肉の告白』と題された第四部の完成をみることはできなかった。
完成していたら、公言はしていないもののセクシャルマイノリティであったフーコーが、セクシャリティに肉薄したことは間違いがなく、途中までが残された『性の歴史』は、クィア理論やフェミニズムなどに強い影響を、今なお与え続けているのよ。
これから、どうなっていくのでしょうねぇ。未来は。そんなことを思わせる書物、そして思想家がフーコーであり、ドゥルーズであったのです。
ダイバーシティとは言うけれども。ひとの多様な価値観を受け入れるためには、思想家、哲学者たちの思考が、役に立つことは間違いないわ。生きてきて、ある日突然、自分と他者との間に、言い得ぬ考え方の深い溝を見つけてしまい、他人と〈ズレている〉ことに気づいたとき、哲学者の言葉は、とても強い味方になる。それは間違いない。
と、言っても広大な森の中を歩いていくには方位磁針が必要で、その役割をわたしたちが語る言葉が果たせればいいな、と思ってる。
大それたことを言ってる気がしますが、入門書の役割を、果たせたら最高ですね、理科。
そうね。
元号が変わって令和になったけど、これからも『死神はいつも嘘を吐く』、どうかよろしくお願いします! だねっ!
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登場人物紹介

【田山理科】

 主人公にして家主。妹のちづちづと知らない町に引っ越し、二人で暮らしを始めたが、ちづちづがどこからか拾ってきた少女・みっしーも同居することに。趣味は絵を描くこと。ペインティングナイフを武器にする。

【みっしー】

 死神少女。十王庁からやってきた。土地勘がないため力尽きそうなところをちづちづに拾われて、そのまま居候することに。大鎌(ハネムーン・スライサー)を武器に、縁切りを司る仕事をしていた死神である。

【ちづちづ】

 理科の妹。背が低く、小学生と間違われるが、中学生である。お姉ちゃん大好きっ娘。いつもおどおどしているが、気の強い一面をときたま見せる。みっしーとは友達感覚。

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