樹海の糸
文字数 2,584文字
確かに、熱いのか寒いのかわからないのです。もう、いっそのこと、一生の間、嗤う日本のとかプチナショとか読み返してればいいんじゃないですかぁ? そういう話題は時間が経ちすぎて辟易なのです。発展性ないのですよ。それに理科。そういうのが『迷走』してるっていうのです。この前近所のやんちゃな輩と戦った前後あたりから完全に迷走してるのですよ、脳内が。
口は禍の元なのです。ボクが死神なのを忘れては困るのです。言葉の使い方を誤ったせいで自滅したのをたくさん見てきたのです。浮かばれないですよぉ、そいつらは一様にして。なにかを間違えても、エリートは後ろ盾がいるものだから大丈夫であることが多いのですが、理科を守るひとなんていないのです。しかも、ボクが愛するちづちづを守る役目があるのは姉である理科の役目。全く、自分の身の回りのことをよく考えるのですよ、理科。とばっちりを受けるのはちづちづなのです。ちづちづはまだ中学生なのを忘れましたか? 自分の身を守るのには限界があるのです。
「どうして見当違いの方へ向かっていってしまうのだろう」と考えたことでしょう。理科も今、まさに迷走中で、明後日の方角へ向かい、戻ってこれなくなる可能性のある樹海へと、足を踏み入れようとしているのですよ。自分ではわからないとは言わせないのです。
そうね。例えば。ボーイズラブなんかってロウカルチャーだと思われているのに、書く側はジャンルの特性上、文学をたくさん知っていて、だからってボーイズラブを書いていたのに、そこに「文学性を持たせよう!」と考えちゃって、こだわり始めちゃって、見放されちゃって、消えていく……。そんな作品と、それによって迷走状態から戻れなくなった作家を何人も見てきた。それなのにわたしもまた、同じ道を進もうとしている?
教養があろうがなかろうが、ハイとロウの区別は「みんな」が決める。多くは無意識のうちに、決めてる。もともとロウカルチャーで出てきてしまった人間がハイカルチャーに接近しようとしても、「みんな」から無視されるか拒絶されてしまうのがオチなのです。脱皮できるのはほんの一握りの、幸運で恵まれたクリエイターだけなのです。
ロウカルチャーに生息するクリエイターは自分がロウカルチャーの住人であることを意識したほうがいいのです。確かに、クロスオーバー、ジャンル横断的なひともいるのですが、参考にして成功することは少ないのです。まず、ないと思ったほうがいいのです。自覚を持つのです。
理屈はわかってるつもりなんだ。世の中は細分化されすぎている。細分化されたジャンルが入り乱れて、形成されている。しっかり自分を定めて、誰かに「届く」ような「カタチ」で創作しないと、結局は誰にも届かなくなってしまうんだ。
自分に理解できないものがごちゃごちゃ入っていた場合、それを読ませる技術っていうのは、作品の魔力で、というのもあるのでしょうが、たいていは作者自身のカリスマ性で「魅せて」いる場合で、それはカリスマ性や魅力がある、選ばれた者にしかできない技術なのです。
どこかでダメなひとでも、その場所ではダメな奴であるだけ、っていう場合もあるよね。「ダメな奴はなにをやってもダメだ!」は暴論で、「そのタイプのダメな奴の住む世界」では「ダメではない」っていうことだってあるもん。それは良いとかダメとか、本当はそういう言葉で語るのは間違ってるんだよね。でも、あえて「ダメ」って言葉を使って、サヴァイブ方法を考えていくなら、どこだとダメで、どこだとダメじゃないタイプの人間なのかを自分で知って生きていくって方法があるよ。「ダメじゃない場所」に行けない理由があったとしても、自分でそれを理解するのは重要なことだよっ!