あるエージェントのターゲットの話【第四話】
文字数 2,046文字
「人間はその生活の社会的生産において、一定の、必然的な、彼らの意志から独立した関係、生産関係に入る。この生産関係は、彼らの物質的生産力の一定の発展段階に対応する。これらの生産関係の総体は社会の経済的構造を形作る。これが現実の土台であり、そしてその上に法律的および政治的な上部構造が立ち、そしてそれに一定の社会的意識諸形態が照応する。物質的生活の生産様式が、社会的・政治的・精神的な生活過程一般を条件づける。人間の意識が彼らの存在を規定するのではなく、逆に、彼らの社会的存在が彼らの意識を規定するのである」と。
「人間の意識が彼らの存在を規定する」というのはすなわち、主観。「社会的存在が彼らの意識を規定する」というのは文脈上はイデオロギーのことなのですが、言い方を変えれば、主観と主観が交わる、バフチンが言うところの『対話』(ディアローグ、と呼ぶこともあるのです)の行われる『場』が生じる、と言えるのです。『彼ら』の『意識』は、同じではないのです。個人によって違うのですからね。そういう意味でボクは言ったのです。そして、規定された意識が交わる『場』ができる、というボクの解釈なのです。
ブルジョワジーの関心を自然的で不可避なものとして擁護するある種の常識を受容することを通じて、プロレタリアートが支配されることに「同意」する。……支配階級のイデオロギーの優位。これに抗うわけね。つまり、階級闘争。
そこでボクはこう答えたのです。「フェミニズムとは、女性の権利の拡張を図るためという側面がある。『女性は性を抑圧されている』ので『女性誌にヌードが載るのは抑圧からの解放であり、良しとする』。一方で、『女性は男性に性的に搾取されている』ので『男性雑誌にヌードが載るのは批判し、禁止を求める』」と。
『唯物史観』では、歴史は一方方向へ進むのである、とされる。それが『革命』で、最初に、「ブルジョワ革命」が起こり、その後、「プロレタリア革命」が起こる。これでブルジョワジーを打倒した、「労働者の楽園」が訪れて、世界はそのまま幸福に満ち溢れた楽園になるのであり、それは〈確実に訪れる〉歴史の終焉、ハッピーエンドだ、ということなのよ。
で、フェミのひとは階級闘争をしていて、権利を勝ち取っていって、革命を起こして女性の楽園をつくることを目指す、という理屈です。ただ、留意点がある。なにも、楽園を作る、というのは字義通りで受け取ると怒られるだけなのですが、聞いてほしいのですよ。
『ブラック・イズ・ビューティフル』という言葉があるのです。この標語は、人種差別と抗うために生まれた言葉なのです。「人種は平等だ」と言うと、残念ながら「言葉として弱い」のです。そこで「ビューティフル」と「言い切ってしまう」のです。これによって、どうにか認知される。同じく、トランスジェンダーの『クィア理論』の「クィア」とは「変態」などを表す言葉なのですが、自ら言って理論のネーミングにすることによって、「言葉の強さ」で、同じ土俵に立てる「契機」となるのですよ。