地下室からのコナトゥス【第五話】

文字数 1,686文字

では、予告通り、ジュディス・バトラー『欲望の主体』を見ていくのです。着目するのは欲望が「承認を求める欲望」へと理論化されるその由縁なのです。
バトラーの『欲望の主体』は、ヘーゲル『精神現象学』の〈レトリック〉構造に着目するのが特徴です。なので、そのレトリック論を通して示した「ヘーゲル的主体」の内容を『精神現象学』の内容に即して見ていくことにするのです。
これ、面白いんだよ。バトラーは『精神現象学』での〈センテンス〉と、それが位置付けられる〈ナラティヴ〉全体の構造から、それぞれ分析するんだよ。
これも故あって、なのです。昔はヘーゲルの『精神現象学』は〈体系的なテクスト〉とみなされていたのですが、今はそう読むひとは少ないのです。
なぜならば、ヘーゲルは執筆や出版の過程で『精神現象学』の計画を変更させているなど、研究者の手によって明らかにされているからなのです。
じゃあ、どういう風にバトラーが読んだかというと、『精神現象学』を〈教養小説〉という、一種の「文学作品」とみなしたうえで、そのレトリックを考察する、という読み方をするのよね。
バトラーがヘーゲル『精神現象学』を、どの文学作品に重ね合わせたかというと、それはサミュエル・ベケット『ゴドーを待ちながら』なのよ。
バトラーは『精神現象学』を、『ゴドーを待ちながら』と類似した構造を持つテクストとみなしたのです。
ベケットには思い出があるんだよね、お姉ちゃん。
ほぅ、理科、その話を聞いてやってもよいのですよ?
わたしはご存命のときの柳瀬尚紀先生の講演会に赴いたことがある。柳瀬先生といえばジョイス研究の第一人者で、『フィネガンズ・ウェイク』の全訳は有名すぎるわね。で、講演会に行ったとき、柳瀬先生はジョイスの話はほぼしなかった。その代わりに、ベケットについて延々と語ってくださったわ。今でも覚えているの、わたし。あの時のことを……。
なーにTOKIMEKIエスカレートしているのですか、理科ぁ。それはともかく、『ゴドーを待ちながら』は演劇の脚本であることを忘れてはならないのです。そして〈ナンセンス劇〉であることも。
『ゴドーを待ちながら』はどういう筋書きかというと、登場人物たちが〈その場にいない〉ゴドーという人物を待ち続ける。しかし、ついにゴドーがその場所に現れることはなかった。……というお話ね。
ゴドーが「GODOT(ゴドー)」が「GOD(神)」を連想させる点に注意なのです。
バトラーは『精神現象学』を『ゴドーを待ちながら』をもじって『主体を待ちながら』という様態に貫かれたテクストとして位置付けるのです。
ヘーゲル的主体とは、「絶対者」の到来を待ち続ける主体である、と。その主体は「絶対者」が到来するまで、もしくは各々自身が絶対者であると認識するまで「これこそが絶対者だ」と確信しながらも、次の瞬間にはその確信の誤りに遭遇するような主体なのだ、とバトラーは語るのです。
こんな風に「自分の外に」絶対的な真理を追究しながら絶えずその「失敗」を繰り返す主体を、バトラーは「脱ー自的主体」と呼ぶのでした。(ゴドーと重ねあわされる)絶対者の到来はついにあり得ず、ヘーゲル的主体は常に「脱ー自態」を逃れることはできないのです。
それに関して、バトラーは『精神現象学』の「実体は主体である」というセンテンスを取り上げるのよね。
でも、それだけを言われてもわけわかんないわよね。
それ自身では完結しないその意味を保留し、意味が到来するのを「待ちながら」、進まないとならないのです。
「実体は主体である」の意味が確定されるのは、『精神現象学』の〈ナラティヴ全体〉を理解したときだ、とバトラーは述べます。なので次に、『精神現象学』の〈ナラティヴ全体〉の〈レトリック〉を分析することになるのです。
ベケットは演劇の脚本を書いた。バトラーによれば、ヘーゲルもまた『存在論的舞台』の脚本を……。わたしたちは今度はその〈舞台〉にあがらなきゃならないのよね。
そうなのです。そこから、なにかが見えてくるでしょう。まずはそこへ向かうことにするのです。
     次回へつづく!
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登場人物紹介

【田山理科】

 主人公にして家主。妹のちづちづと知らない町に引っ越し、二人で暮らしを始めたが、ちづちづがどこからか拾ってきた少女・みっしーも同居することに。趣味は絵を描くこと。ペインティングナイフを武器にする。

【みっしー】

 死神少女。十王庁からやってきた。土地勘がないため力尽きそうなところをちづちづに拾われて、そのまま居候することに。大鎌(ハネムーン・スライサー)を武器に、縁切りを司る仕事をしていた死神である。

【ちづちづ】

 理科の妹。背が低く、小学生と間違われるが、中学生である。お姉ちゃん大好きっ娘。いつもおどおどしているが、気の強い一面をときたま見せる。みっしーとは友達感覚。

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