地下室からのコナトゥス【第四話】

文字数 1,561文字

前回までのまとめをするわね。
ジュディス・バトラーの哲学的軌跡の核心部には『コナトゥス』の問い(byスピノザ)がある。これは、規範から排除された者がいかにして承認に値する生を生きることができるか、という問いだったのよね。
バトラーは、その舞台をスピノザからヘーゲルに移す。ヘーゲルの「承認を求める欲望」に移したのよね。でもこれは、コナトゥスという「生存の問い」を追及するうえで「承認」の問題が前景化したからだった。
ジュディス・バトラーの最初の著作『欲望の主体 -二十世紀フランスにおけるヘーゲル哲学の影響-』は、まさにこの、前景化した「承認」の問題を取り扱った試みの成果なのです。
ふぅ。やっとジュディス・バトラー『欲望の主体』を見ていくことになるのね。わたしたちの今回の目的はバトラーの『ジェンダー・トラブル』を読むこと。でもその前に、最初の著作である『欲望の主体』の読解をざっくりしていかなくちゃならない。この「欲望と承認」の話を理解することで、難解なことで有名な『ジェンダー・トラブル』へ続く道が開ける。
バトラーの『クィア』を見てやろうじゃないの。
まあ、クィアってもとは変態とか、そういう意味合いの言葉なのですけどね。
「えっちー!」って日本でも言うけど、「えっち」も「変態」の頭文字から来てるんだよねっ!
ちづちづ……、えっちに興味があるのならボクといいことするのですよ?
わたしの目の前でわたしの妹を誘惑しないで、この居候!
とか言っちゃって、居候するのを許してるのはお姉ちゃんだもんね。みっしーはお姉ちゃんともう、いいコンビでしょ。バディシステムみたくて好きだな、わたしは二人のコンビ。
理科は考えすぎなのですよ。阿呆なのだからもっと阿呆のままでいいと思うのです。
なぜそこでわたしが阿呆だという話になるのかは謎だけど、確かにバカなのに悩みすぎなのは認めるわ。
話を戻すと、バトラー自身、1999年に寄せた序文では、「ある意味で、私の作品のすべては一連のヘーゲル的問いの範囲内にとどまったままである。すなわち、欲望と承認のあいだにある関係とはなにか、主体の構成が根本的で公正的な他性への関係を伴うのはいかにしてなのか」と、述べているのです。
ヘーゲル的問い、「欲望と承認」の話。次回からは『欲望の主体』を読んでそこらへんを読み解いていくことになるのです。
お姉ちゃんとみっしーのお話や同人活動なんかはいつも、どうしても欲望と承認の話になっちゃうよね。認められたい、っていうのや、でも認められないやー、ってお話だもんね。
確かに、オーソドックスで普遍的テーマの変奏でもあるのかな。
次回の議論を先取りしてしまうことになるのですが、百合的なテーマを扱うことになってるのがバトラーなので、ひとつ小噺を。
次回? 次回はベケットの話になるのよね。ジョイスの弟子としても有名な。主著は『ゴドーを待ちながら』ね。
日本で『ゴドーを待ちながら』の強い影響を受けて作品を書いた作家といえば、安部公房です。安部公房は、批評家の花田清輝がベケット論をしているところから、『ゴドーを待ちながら』の理解を深めたと言われているのです。
なるほど。花田清輝の孫と言えば、アニメの脚本家の花田十輝先生ね。
花田十輝先生がシリーズ構成した『やがて君になる』は2018年冬アニメでも屈指の正統派百合恋愛アニメだったのです。
花田先生が構成や脚本を書いた作品には、『けいおん!』や『響け! ユーフォニアム』や『ラブライブ』や『宇宙よりも遠い場所』とか、みんな大好きな作品が揃い踏みだよね。すごいよねー。そこに繋がるんだー。
さぁ、そんなわけで次回はベケットにも言及があるということを話したところで、少し休むのです。
じゃ。みんなでアニメを観よっか。
     と、いうわけで、次回へつづく!
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登場人物紹介

【田山理科】

 主人公にして家主。妹のちづちづと知らない町に引っ越し、二人で暮らしを始めたが、ちづちづがどこからか拾ってきた少女・みっしーも同居することに。趣味は絵を描くこと。ペインティングナイフを武器にする。

【みっしー】

 死神少女。十王庁からやってきた。土地勘がないため力尽きそうなところをちづちづに拾われて、そのまま居候することに。大鎌(ハネムーン・スライサー)を武器に、縁切りを司る仕事をしていた死神である。

【ちづちづ】

 理科の妹。背が低く、小学生と間違われるが、中学生である。お姉ちゃん大好きっ娘。いつもおどおどしているが、気の強い一面をときたま見せる。みっしーとは友達感覚。

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