パトリ(下)
文字数 2,135文字
メジャー作家ばかり見てるとボーダレスな気がしちゃうけど、例えば電子書籍だけを中心に活動している作家の電子書籍を一番読んでいるのは、ほかの電子書籍作家である、って話を聞いたことがあるわ。ウェブ小説をたくさん読むのはウェブ小説家だ、ってのも同様に。
今はデビューしても、『書籍化作家』と呼称されますからね。ウェブが主戦場の場合、戦場はそのままで突き進む人生になるのですかね。ほかの畑から引っ張ってこられて作家になったひとは別として、物理書籍だけの作家って、今は少なくなった印象があるのです。
そもそもプラットフォームをつくるひとが儲かるのですよ。コンテンツをつくってる個人は、スター作家数名だけでもじゅうぶん宣伝になるのです。……と、いうビジネスモデルにうんざりしてると思うのですが、変わらないですねぇ。
楽しんで書いてるひとはたくさんいて、発表の場が必要で、必要なものをつくれるひとが偉いっていうのは、例を出すと、同人雑誌があった場合、企業に吸い上げられるのは主宰してるひとであることがほとんどだって話ね。「顔」のひとは必要とされるけど、それ以外は「せいぜい楽しんでくれ」ってことで終わるわね。
稀って言えば、物語類型として貴種流離譚ってのがあって、どこか遠くから来た「マレビト」が、悪者退治して民衆を助けるってのがあるけど、実はそのどこの誰だかわからない流れ者は有名な血筋のひとでした、ってオチが待ってる。そのオチがカタルシスだっていう。
妄想の種類のひとつに血統妄想というのがあるのです。とてもよくあるものなのでこうやって話してしまうのですが、話し方によっては差別を助長するし、でも実際、理科の言った貴種流離譚のオチのカタルシスは有効になる場合があるので、この話は表裏一体なのです、使い方として。
中上健次は路地に住む人々を美しく描いた。でも、代表作『枯木灘』のシリーズの、ヒールである浜村龍造は、偉くなった途端に自分の先祖は有名な決起をした人物で、って語りだすっていう。偉くなるとルーツを求めるっていうのは実際によくあることだけど、この構造は難しい問題をはらんでいるわよね。
ウェブ小説になにか使命があるとしたら、ウェブっていう大きな海の中でしか棲息できない、危なかったり変だと言われたりする、抑圧されて通常なら沈黙せざるを得ないディスクールを抱えたノベルなのかもしれないわ。それこそ、昔なら純文学が担っていたような領域の文学をアップデートしたような。
そしてそのアップデートが、読むひとによってはアップグレードなのかダウングレードなのかわからない、ってことになりそうなのです。いや、現実はすでにそうなっているのかもしれないのです。ただし、ここは大海であり、見つけられていないもののなかにあるのが大半なのでしょう。これは拾い上げることが果たしてできるのか、の問題でもあるのです。