探偵ボードレールと病める花々【第十九話】

文字数 812文字

詩人たちは社会の屑と見做されるひとたちを街頭に見出し、その屑なひとたちにヒロイックな題材を見出す。ヒーローという高貴なタイプのなかへ、低俗とされるタイプが写しいれられていくの。
そんな無頼漢文学は、曖昧な光に包まれている。屑が大都市のヒーローになるのか? ベンヤミンは言うわ。「ヒーローはむしろ、そういう素材から作品を築く詩人ではないのか」と。
古代のヒーローに成り代わった詩人は、行為の報告が裁判記録に出てくる近代のヒーローから、離れていかざるを得ない。その断念は、すでに近代のヒーローの〈概念〉に〈組み込まれて〉いるわ。ヒーローは前もって〈没落〉を定められていて、その必然性を描くには、ずっと前にわたしたちが話したこともある〈悲劇詩人〉、彼らの登壇を必要なんてしない。没落が起こるべくして起こったなら、近代の命数は尽きている。そのことによって、近代自体が古典時代(アンティーケ)になり得るかが、明るみにだされる、とベンヤミンは語るわ。
この〈近代のヒーロー〉の問いは、ボードレールにいつも付きまとっていた。不滅性への古代の欲求を、ボードレールはいつか古典作家のように読まれたいという欲求として、実感していたのよ。
近代が持つ様々な関係のなかで、古典古代への関与は、際立ったもののひとつだったのです。ボードレールはこれを、ヴィクトル・ユゴーを例として描いたのです。以下、抜粋。
「事の成り行きでかれは古典詩や古典悲劇を、ぼくらの知っているかれの詩や劇に、改作することになったんだ」と。
ベンヤミンの定義によれば近代とは、ひとつの時代を指す言葉であると同時に、この時代のなかで活動している力、この時代を古典古代へ近づけていく力を、指したのです。ボードレールはわずかな場合だけ、嫌々ながらユゴーにこの〈力〉を認めたのでした。
対立軸も出てきたことだし、ここからベンヤミンが読み解くボードレールの芸術論を観ていきましょうか。
   つづくわ!!
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登場人物紹介

【田山理科】

 主人公にして家主。妹のちづちづと知らない町に引っ越し、二人で暮らしを始めたが、ちづちづがどこからか拾ってきた少女・みっしーも同居することに。趣味は絵を描くこと。ペインティングナイフを武器にする。

【みっしー】

 死神少女。十王庁からやってきた。土地勘がないため力尽きそうなところをちづちづに拾われて、そのまま居候することに。大鎌(ハネムーン・スライサー)を武器に、縁切りを司る仕事をしていた死神である。

【ちづちづ】

 理科の妹。背が低く、小学生と間違われるが、中学生である。お姉ちゃん大好きっ娘。いつもおどおどしているが、気の強い一面をときたま見せる。みっしーとは友達感覚。

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