理性の系譜【第六話】
文字数 1,288文字
宇宙的闇夜のビジョンでもあった狂気は、非理性であるとともに、人々を魅了するものだった。宇宙的闇夜……言葉からわかるように、狂気は〈自然〉の側の〈獣性〉であったわけね。今回は触れないけど、例えばシャーマニスティックな呪術的社会においては、狂気の〈神憑り〉が信仰の対象とされていたことからそれはわかるし、言ってしまっていいかわからないけど、いわゆる聖書の預言者たちにも、その性質はあると見做す学者もいるわ。それが、反転する。
どう反転したか。国家主導で医学の制度化が進むにつれて、狂気は「病気である」と見做されるようになる。それはつまり、〈人工の派生物〉であり、狂気は〈家庭〉などの『自然』と対立する、病とされたのよ。そして、病気には〈治療〉が必要とされる。
18世紀末、ついにフランスでは医師、フィリップ・ピネルによって、狂人収容施設となっていたビセートルで、鎖につながれていた精神錯乱者たちが〈釈放〉されたのです。ビセートルは以降、狂人保護院としての機能を担ったのです。ここに、狂人の「解放」という〈伝説〉が形成されたのです。
そうなのです。精神錯乱者たちは、狂気を裁く監視者の視線を内在化させられるのです。つまり、自分の狂気を〈罪〉として内面化し、社会の道徳価値から逸脱した自分を〈罪びと〉として自ら裁くことを強いられるようになったのです。その意味で、治療は道徳的懲罰と同義と言えるのですね。
この構造は、医者と患者の間に、新しい関係性を生むのです。どういう関係か。それは、〈医学的人間に対する過度の崇拝〉という構造なのです。フーコーがそこで注意を促すのは、この「精神医学」の成立の条件が、医学的な知の発展〈ではない〉ということなのです。