探偵ボードレールと病める花々【第十五話】
文字数 1,405文字
「明日の作品を執拗に沈思すること」がインスピレーションを保証するという見事な形式がある。「霊感を受けるひとの生得の無為」をボードレールが知らぬわけがない。「夢想から芸術作品を現出させる」のに多くの労苦が必要だとは、ミュッセならば思いもよらぬことだろう。だが、ボードレールは、そもそもの初めから独自の法典(コーデクス)を携え、独自の規則とタブーをもって、公衆の前に出てくる。
バレスの主張によると、「ボードレールのどんなに些細な単語のなかにも、彼にかくも偉大なものを成就させた労苦の、痕跡が認められる」。レミ・ド・グールモンは、「ボードレールにあっては、彼の神経の激動のなかにまで、なにか健康的なものが含まれている」と書いている。サンボリストのギュスターヴ・カーンは、「ボードレールの詩作は厳しい肉体労働そっくりに見えた」という。
……こういったことの証拠は、作品のなかに見出せるのです。立ち入った考察に値するひとつのメタファーは、剣士というメタファーなのです。戦士的な諸特徴を芸術家のそれとして提示することを、ボードレールは好んだらしいです。
この詩作法を検証してみると、ボードレールの描く遊民は、一見してそう思われるほどには、詩人の自画像ではないことが明らかになるのです。現実の、仕事の虜になっているボードレールの、重要な特徴は、遊民の像のなかにはないのですよ。その特徴とは、〈無心さ〉だと言えるのですよ。遊民にあっては、物見高さが目立っているのですが、これが「観察に没頭」となると〈素人探偵〉が出来上がるのです。
ぽかんと観ている域を脱しないと、遊民は変じて、やじうま〈バドー〉となるのです。〈素人探偵〉によっても〈バドー〉によっても、大都市の意味深い描写は書かれはしないのですよ。それを〈書く〉のは、大都市を〈無心〉に、〈自身の思考や心配に沈潜しながら横切るひとたち〉なのです。
えーっと。先に言ってしまうと、具体的には、そういうのに憧れて書いたのが、ボードレールね。〈素人探偵〉でもなく、〈バドー〉でもなく、〈無心〉の徒である、剣士の、〈探偵・ボードレール〉像が浮き彫りになるわね。
つづく!!