探偵ボードレールと病める花々【第十五話】

文字数 1,405文字

さて。ボードレールは芸術家のイメージを、ヒーローについてのイメージに合わせて形作った。芸術家とヒーローのイメージは最初から互いに支えあっているの。……前回の話の、その続き、行くわよ。
『一八四五年のサロン』の中で、こう、述べられているのです。
「気力は、実に天賦に違いない。気力を傾けることは、明らかに徒労ではなくて、二流の作品にすら、多分になにかかけがえのないものを付与する。鑑賞するひとは労苦を享受する。彼は汗を愛飲するのだ」と。
次に、翌年に書かれた「若い文学者たちへの助言」では。ベンヤミンの発言を追ってみるのです。
「明日の作品を執拗に沈思すること」がインスピレーションを保証するという見事な形式がある。「霊感を受けるひとの生得の無為」をボードレールが知らぬわけがない。「夢想から芸術作品を現出させる」のに多くの労苦が必要だとは、ミュッセならば思いもよらぬことだろう。だが、ボードレールは、そもそもの初めから独自の法典(コーデクス)を携え、独自の規則とタブーをもって、公衆の前に出てくる。
バレスの主張によると、「ボードレールのどんなに些細な単語のなかにも、彼にかくも偉大なものを成就させた労苦の、痕跡が認められる」。レミ・ド・グールモンは、「ボードレールにあっては、彼の神経の激動のなかにまで、なにか健康的なものが含まれている」と書いている。サンボリストのギュスターヴ・カーンは、「ボードレールの詩作は厳しい肉体労働そっくりに見えた」という。
……こういったことの証拠は、作品のなかに見出せるのです。立ち入った考察に値するひとつのメタファーは、剣士というメタファーなのです。戦士的な諸特徴を芸術家のそれとして提示することを、ボードレールは好んだらしいです。
詩作の経験を散文にも生かそうとすることが、ボードレールが散文詩集『パリの憂鬱』で追究した意図のひとつだったのよね。
生前、計画の半分まで書いたものを死後出版の形で出すことになったのが、『パリの憂鬱』だったよね!
この詩作法を検証してみると、ボードレールの描く遊民は、一見してそう思われるほどには、詩人の自画像ではないことが明らかになるのです。現実の、仕事の虜になっているボードレールの、重要な特徴は、遊民の像のなかにはないのですよ。その特徴とは、〈無心さ〉だと言えるのですよ。遊民にあっては、物見高さが目立っているのですが、これが「観察に没頭」となると〈素人探偵〉が出来上がるのです。
ぽかんと観ている域を脱しないと、遊民は変じて、やじうま〈バドー〉となるのです。〈素人探偵〉によっても〈バドー〉によっても、大都市の意味深い描写は書かれはしないのですよ。それを〈書く〉のは、大都市を〈無心〉に、〈自身の思考や心配に沈潜しながら横切るひとたち〉なのです。
えーっと。先に言ってしまうと、具体的には、そういうのに憧れて書いたのが、ボードレールね。〈素人探偵〉でもなく、〈バドー〉でもなく、〈無心〉の徒である、剣士の、〈探偵・ボードレール〉像が浮き彫りになるわね。
風変わりな剣技(ファンタスティック・エスクリム)というイメージは、このひとびとにふさわしいのです。ボードレールが目標としたのは、観察者の精神状態とはまるで違った、彼らの精神状態なのでした。
ボードレールさんの才能が開花して、〈探偵〉になるときが来たんだねっ!
もしくは、〈剣士〉……なのです。
   つづく!!
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登場人物紹介

【田山理科】

 主人公にして家主。妹のちづちづと知らない町に引っ越し、二人で暮らしを始めたが、ちづちづがどこからか拾ってきた少女・みっしーも同居することに。趣味は絵を描くこと。ペインティングナイフを武器にする。

【みっしー】

 死神少女。十王庁からやってきた。土地勘がないため力尽きそうなところをちづちづに拾われて、そのまま居候することに。大鎌(ハネムーン・スライサー)を武器に、縁切りを司る仕事をしていた死神である。

【ちづちづ】

 理科の妹。背が低く、小学生と間違われるが、中学生である。お姉ちゃん大好きっ娘。いつもおどおどしているが、気の強い一面をときたま見せる。みっしーとは友達感覚。

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