廃園の亡霊のために【第三話】

文字数 1,351文字

R.D.レインはまず、人間存在の在り方の構造としての『基本的実存的位置』を、『存在論的安定』と『存在的不安定』にわけるところから出発させた。
普通の幼児は、生物学的誕生の後、驚くようなスピードで自己を現実的で生きたものとして感じるのです。時間的にひとつの連続性を持ち、空間的に一定の場所を占めるものとしての感覚を持つようになる。同時に他者をも現実的で生きたものとして経験するようになる。
かくしてその幼児は、自己の存在を「現実的な生きた全体」として、世界のほかのものとは違ったあるものとして経験するのです。
それが『存在論的安定』の在り方……か。そのひとのアイデンティティと自律性には疑問の余地すらないな。
ですが一方で、あるひとは自己を非現実的な、死んだものとして感じるかもしれないのです。『存在論的不安定』の場合、なのです。
彼には時間的連続性、人格的一貫性に関する感覚が欠けているかもしれない。または自己を、肉体から遊離したものと感じているかもしれない。ボクらが『肉化されざる自己』と呼んだ、その萌芽なのです。
『存在論的安定』に達することができたひとは、日常的な状況はなんの脅威でもなく、他人とのかかわりは基本的に喜ばしいものだと感じるのですが、この基盤に達していないひとにとっては、日常的な状況そのものが彼の存在にとっての絶えざる脅威であり、彼の安定性の低い敷居を脅かすものとなってしまうのです。
他人とのかかわりも喜ばしいものではないのです。これが、『存在論的不安定』です。
自己、および他者の現実性、アイデンティティ、自律性は自明ではなく、そのひとは現実的になる方法を工夫し、自己を失うまいと努力しなきゃならない。……と、いうことだよね。
そう、それがあさっての方向を向いてしまうと、『偽りの自己』のお出ましなのです。どうです、理科。自分の胸に突き刺さりますかぁ?
ふむ。
『存在論的不安定』という位置に立つ人間が、その不安を克服するために〈偽自己ー体系〉を発達させ、この〈偽自己ー体系〉が独り歩きを始めるようになり、それによって内的自己はますます貧しくなり、追い詰められた内的自己は混沌たる非存在の中に潜り込む。
発病じゃな。しかし、宿命論ではないのじゃぞ。R.D.レインはこの過程を、確かに可能な系列として示しておる。……最前のみっしーの話の結びと同じことをあちしは今、言っておるだけじゃ。宿命では、ない。
エンマちゃん、おいでになられたのですね。ここは任せてください、なのです。
あちしが思うに。前回からの話の流れじゃと、環境を変えるために動かないとならない、ということを強調していたようじゃが。しかしのぉ。
なにか不備が?
病気は安静にするのも大事じゃぞ。どんな病気でも、大概は、な。回復するのにはとても時間がかかる。
それは、普通は考えもつかぬような時間かもしれぬのじゃ。自分にとっては死ぬまで続くかに見える煉獄の風景。気が滅入るだけじゃ済まぬし、実際に治らない病とも言われている。だからこそ、この病の場合も、ほかと同様に、病と「闘う」、つまり「闘病」と呼ぶのじゃ。
肝に銘じますよ、エンマちゃん。
(ボソリと呟く)ま、うぬは死ぬんじゃがな……。
それでは、次に進むのです。ススメ、オトメなのです!
   次回へつづく!
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登場人物紹介

【田山理科】

 主人公にして家主。妹のちづちづと知らない町に引っ越し、二人で暮らしを始めたが、ちづちづがどこからか拾ってきた少女・みっしーも同居することに。趣味は絵を描くこと。ペインティングナイフを武器にする。

【みっしー】

 死神少女。十王庁からやってきた。土地勘がないため力尽きそうなところをちづちづに拾われて、そのまま居候することに。大鎌(ハネムーン・スライサー)を武器に、縁切りを司る仕事をしていた死神である。

【ちづちづ】

 理科の妹。背が低く、小学生と間違われるが、中学生である。お姉ちゃん大好きっ娘。いつもおどおどしているが、気の強い一面をときたま見せる。みっしーとは友達感覚。

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