探偵ボードレールと病める花々【第八話】
文字数 1,345文字
「ときどき不器用なところもあるがほとんどいつも偉大な詩を書く一詩人が登場して、七月革命の神聖性を宣言し、さらに同じく熱烈な詩でイングランドとアイルランドの貧困をうたったとき、問題は片付き、それ以来、芸術はモラルおよび有効性と不可分になっていた」と。
ボードレール自身の詩には根深い二重性があることは前回述べたのですが、ここにはそれは影も形もないのです。彼の詩は被抑圧者を受け入れ、しかしその運動とともに幻滅をも受け入れたのです。彼の詩は革命の歌を聴きとったのですが、同時に、処刑場の太鼓の乱打から聞こえる「より高い声」をも聴きとってしまったのですよ。あのボナパルドがクーデターによって政権を握ると、ボードレールは一瞬かんかんにすら、なったのです。
「バルザックは珈琲で破滅し、ミュッセはアブサンに溺れてダメになり、ミュルジェは療養所ぐらしのあげくに死ぬ。ちょうどいまのボードレールがその通りだ。そしてこの作家たちは、ひとりとして社会主義者ではなかった!」と。
ベンヤミンによれば、ボードレールは、この最後の一文が彼に払おうとした敬意に、確かに価した。けれども、だからといってボードレールは、文士の現実的状態を見抜く洞察に欠けていたわけではない。文士を、そしてまっさきに自分自身を、娼婦と対質させることは、ボードレールには手慣れたことだった、と言うのです。
ボードレールは文士の実態をよく知っていたのです。文士は遊民(フラヌール)として市場へ赴く。それは、ボードレールの考えでは市場を眺めるためなのですが、実際はもう、買い手を見つけるためなのである、とベンヤミンはこの章をまとめていますね。
次回へつづく!