理性の系譜【第二話】
文字数 1,661文字
それでは。「狂気」の「歴史」について辿っていくわね。「狂気」の歴史をたどるということは、「理性」の「歴史」をあぶりだす作業でもあるわ。そこのところの理解をよろしくね。それと、このお話には現在使われない言葉も出てくるけど、差別を助長するものではないわ。
現代人が「狂気」というとき、それはごく普通に「狂気」は「精神疾患」として理解されることがほとんどです。しかし、狂気を精神の病気と結びつけるのはけっして〈自明なことではない〉のです。これは、歴史的に形成されてきたものなのです。
前回、別のかたちで語ったけど、狂気が精神疾患と結びつけられるのは決して自明なことではないのよ。そこがまず、ポイントね。では、どのような経緯で狂気は現在のように精神疾患とほぼイコールになったのか。じっくり見ていきましょう。
狂人と一緒に一般施療院に監禁されたひとたちはみな、人間に固有の理性を行使できない否定的存在だ、と烙印を押されたのです。そしてそのひとたちはキリスト教的倫理やブルジョワ的価値観を否認する、社会にとって危険な存在として道徳的観念から非難・弾劾されたのです。
その意味で、この「大いなる閉じ込め(Byフーコー)」は倫理的措置であり、社会の秩序維持のための、治安上の措置だった、と言われているのです。これは同時に、貧者を収容し、働かせることで失業を解消する経済的措置の側面もあったのです。当時は、ですが。
医学的な施設ではない、とはどういうことか。狂気は古典主義時代、当時の社会的感受性にとって道徳的に容認しがたい非理性を構成する数多くの実在形式の一つでしかなく、「狂気」は、まだ狂気自体としては認識されていなかったのです。
それというのも、フーコーによれば、中世、およびルネサンスにおいて、狂気とはボッシュやブリューゲルの絵画が示すような、宇宙的闇夜のビジョンであったからです。狂気は世界終末の脅威でありながら、人々をなによりも魅了するという側面も、持ち合わせていたのです。
人々を魅了し、宇宙的な闇夜というビジョンで理性の一部とみなされ、世界の終末を意識させてしまうような理性に対する批判意識としても認識されていた。そんな〈狂気〉。それでは、「監禁」された「狂気」は、その後どうなっていくかを、見ていくことにしましょう。
次回へ、つづく!