探偵ボードレールと病める花々【第六話】
文字数 1,453文字
ボードレールの政治的洞察力は、基本的に、〈職業的陰謀家〉の域を越えていない、とベンヤミンは断じる。カトリック反動に共感するにしろ、48年の蜂起に共感を寄せるにしろ、その共感の表現は無媒介的であって、その共感の基礎はぜい弱だ、と言うことだったわね。
ボードレールの中には、マルクスが陰謀家たちに見出しているテロリスト的な〈願望夢〉さえ、対応するものがある、とベンヤミンは言うのです。ここで、1865年12月23日、ボードレールが母にあてた手紙を見てみるのです。
「以前に幾度かもったことのある緊張力とエネルギーを、再発見することがあるとしたら、恐怖を引き起こす書物を書いて、ぼくの怒りを発散させることでしょう。ぼくは人類の全体を敵にまわしたい。それはぼくには、いっさいを埋め合わせてくれるほどの快楽となるでしょう」
ボードレールは『悪の華』の最後に置かれるはずだった、断片に終わったパリへの語りかけのなかで、街に別れを告げるにあたってバリケードを呼び起こさずにはいられないのです。彼は「砦まで高くそびえたつ魔術的な舗石」を回想する。この舗石は、それを動かした手をボードレールが知らないだけに、「魔術的」である、とベンヤミンは書いていますね。
うーん、ちょっと回りくどい言い方になってしまうのですが。ボードレールのイメージは、一方では謎の寄せ集め、他方では陰謀家の秘密主義。そして、下級の陰謀家がくつろいだ飲み屋について言えば、そこに沈殿している匂いは、ボードレールには親しいものだったのです。
つまり、下級陰謀家たちが前回話したように、陰謀を張り巡らせているそのただなかにいたボードレールには、バリケードをつくることになるその〈匂い〉には、親しかったのね。その〈匂い〉が生み出した「魔術」的な詩が、『悪の華』にはある、と。
ベンヤミンは書いているのです。……屑屋はもちろん、ボヘミアンに数え入れることはできない。けれども、ボヘミアンに属する誰彼は、文士から職業的陰謀家にいたるまで、屑屋のなかに自己の一片を再発見することができた。誰もかれも、社会に対する多少とも土台を揺さぶる人々に共感することができた。屑屋は、彼の夢において孤立してはいない。彼には仲間が同行している。仲間の周辺にも樽の香りがあり、仲間もまた歴戦の古強者なのだ。……と。
貧困とアルコールは、教養あるサント・ブーヴなどの利子生活者の精神のなかでは、ボードレールの精神のなかでとは本質的に違った結合の仕方をしている、とベンヤミンはまとめているのす。まとめというと、ちょっとおかしいのですが。
それじゃ、先へ進みましょうか……。つづく!