小説家は詩情を持ちつつそれを隠せ【第二話】
文字数 1,810文字
『猫』という詩の「おわあ」「おぎやあ、おぎやあ、おぎやあ」、『鶏』は「とをてくう、とをるもう、とおるもう」、『遺伝」は「のをあある、とをあある、やわあ」でしょ。天才は紙一重なのがわかるし、わたしはそれを愛するだけよ。
朔太郎からの引用です。「月に吠える犬は、自分の影に怪しみ恐れて吠えるのである。疾患する犬の心に、月は青白い幽霊のやうな不吉の謎である。犬は遠吠えをする。私は私自身の陰鬱な影を、月夜の地上に釘付けにしてしまひたい。影が、永久に私のあとを追って来ないやうに」。
ハードルが下がってかなりのひとが小説や詩を書き、発表できるようになった今、病的な自分の心と向き合うことが果たしていいことなのか、全く謎なのです。いたずらに疾患の「傷」を広げるだけ、と創作に携わらないひとたちには、見えてしまうのかもしれないのです。
朔太郎は挫折に挫折を重ねますが、普通に学校に合格する学力もあり、医者の息子でお金もあった。結婚してからも親のお金で生活していたのも事実なのです。恵まれていた、とも言える。このひとと自分を比べちゃ、ダメだと思うのです。
しかし、こういう機会でもなければ、一生、萩原朔太郎について語ることなんてなかったわ。学生時代、あんなに読んだのに。「我れの持たざるものは一切なり」ってフレーズに心打たれたあの頃のことを、思い出すこともなかったでしょう。
『氷島』の『自序』によると「おそらく芸術品であるよりも、著者の実生活の記録であり、切実に書かれた心の日記であるだろう」と、あるのです。また、のちに「『氷島』の詩語について」でも、ここで使われた漢詩スタイルの文語を「明白に『退却(レトリート)』である」と、書いていますね。「これまで古典的文章語の詩に反抗し、口語自由詩の新しい創造」を目指してきたにも関わらず、当時の自己の破産した生活のなかでの精神の危機、憤怒、絶えず大声で叫びたい気持ちを表現できなかったから書いたのだ、と表明しているのですよ。
と、いうことで、次回からが本題よ。
それでは。つづく!