小説家は詩情を持ちつつそれを隠せ【第二話】

文字数 1,810文字

フッ。「蠅を叩き潰したところで蠅の『物そのもの』は死にはしない。単に蠅の現象を潰したばかりだ」。
いきなりショウペンハウワー先生の文章を引用してどうしたのですか、理科。
「ひとが猫のやうに見える」。
「やうに見える」じゃねーですよ? なに萩原朔太郎の『omegaの瞳』を引用しているのですかぁ? ついに狂いましたか。
『猫』という詩の「おわあ」「おぎやあ、おぎやあ、おぎやあ」、『鶏』は「とをてくう、とをるもう、とおるもう」、『遺伝」は「のをあある、とをあある、やわあ」でしょ。天才は紙一重なのがわかるし、わたしはそれを愛するだけよ。
自身の病的な部分は、朔太郎も意識していた……もしくは、ほかのひとたちよりも意識しすぎていた、と言えるのですね。
と、いうと? どういうことかしら。
朔太郎からの引用です。「月に吠える犬は、自分の影に怪しみ恐れて吠えるのである。疾患する犬の心に、月は青白い幽霊のやうな不吉の謎である。犬は遠吠えをする。私は私自身の陰鬱な影を、月夜の地上に釘付けにしてしまひたい。影が、永久に私のあとを追って来ないやうに」。
自己分析しちゃってるのは、いいことなのかどうか、わからないわね。朔太郎は歴史にその名を遺したからいいけれども、普通に生活するとしたら、マイナスになる。
ハードルが下がってかなりのひとが小説や詩を書き、発表できるようになった今、病的な自分の心と向き合うことが果たしていいことなのか、全く謎なのです。いたずらに疾患の「傷」を広げるだけ、と創作に携わらないひとたちには、見えてしまうのかもしれないのです。
まあ、そう言えないこともないわね。
朔太郎は挫折に挫折を重ねますが、普通に学校に合格する学力もあり、医者の息子でお金もあった。結婚してからも親のお金で生活していたのも事実なのです。恵まれていた、とも言える。このひとと自分を比べちゃ、ダメだと思うのです。
奥さんの放蕩に目を背けていたことから、離婚になって、娘二人と暮らすことに、朔太郎はなるのだけれどね。
だいたい、詩人はお金は稼げないのです。まあ、今は、多くのひとは小説を書いても稼げないと思いますが。
奥さんとの離婚と、日本への回帰と言い出したのは、同じ時期なのよね。そこから、『氷島』が、生まれることになる。
『月に吠える』の頃は文語詩と口語詩の混ざり合いが美しく、次の『青猫』で口語詩を完成させ、『蝶を夢む』『純情小曲集』と来て、「日本への回帰」と言い出して、『氷島』へと移るのですよ。
しかし、こういう機会でもなければ、一生、萩原朔太郎について語ることなんてなかったわ。学生時代、あんなに読んだのに。「我れの持たざるものは一切なり」ってフレーズに心打たれたあの頃のことを、思い出すこともなかったでしょう。
青春、ですねぇ。理科のそういうセンチメンタルな側面はどうでもいいのですが、詩と小説の違いの話になると、その主観によるセンチメントの部分に焦点があたることになるのです。
そうね。
その前に、理科の好きな『氷島』の話も、しておくのです。
小噺を、ここでするのか。
『氷島』の『自序』によると「おそらく芸術品であるよりも、著者の実生活の記録であり、切実に書かれた心の日記であるだろう」と、あるのです。また、のちに「『氷島』の詩語について」でも、ここで使われた漢詩スタイルの文語を「明白に『退却(レトリート)』である」と、書いていますね。「これまで古典的文章語の詩に反抗し、口語自由詩の新しい創造」を目指してきたにも関わらず、当時の自己の破産した生活のなかでの精神の危機、憤怒、絶えず大声で叫びたい気持ちを表現できなかったから書いたのだ、と表明しているのですよ。
病的さを見つめるより、叫びだしたい心の日記をつけざるをえなかった、と。回帰が退却と結びついていたときに生まれた化学反応だったのかしら。
化学反応というと、宮沢賢治みたいですけどね。まあ、でも、時期が重なったのは、間違いがないのですよ。文豪や詩人には、「時期が重なる」現象がたびたび起こる。樋口一葉の13か月間が、その典型例ですね。
「文学」にはたまに奇跡が起こる。その大きなくくりだと「文学」である「詩」と「小説」だけど、ここからは。
「小説は文学に於ける詩の逆説である」ということについて、語っていくのです。
やっと、本題に入るのね。
     と、いうことで、次回からが本題よ。


     それでは。つづく!

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登場人物紹介

【田山理科】

 主人公にして家主。妹のちづちづと知らない町に引っ越し、二人で暮らしを始めたが、ちづちづがどこからか拾ってきた少女・みっしーも同居することに。趣味は絵を描くこと。ペインティングナイフを武器にする。

【みっしー】

 死神少女。十王庁からやってきた。土地勘がないため力尽きそうなところをちづちづに拾われて、そのまま居候することに。大鎌(ハネムーン・スライサー)を武器に、縁切りを司る仕事をしていた死神である。

【ちづちづ】

 理科の妹。背が低く、小学生と間違われるが、中学生である。お姉ちゃん大好きっ娘。いつもおどおどしているが、気の強い一面をときたま見せる。みっしーとは友達感覚。

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