第45話 ニセ百円札 4 

文字数 3,505文字

 家を出て、バス通りに向かって歩く。
「みのるくん、手を繋いであげるわ」
 雪子が、右手を出したので左手で握った。
 稔の手の中にすっぽりと納まる小さな手だった。
「お姉ちゃんと手を繋いで歩いたことあるんか?」
「ないけど……」
 三角山へ行った帰りに馬になったことを想い出していた。
 律子は雪子に、どう伝えているのだろうか……。
 秘密にすると約束して指切りまでしたのに、稔は母親の文江に喋ってしまっていた。
 あの日のことは、稔にとって、忘れることができない輝かしい一日だった。
「みのるくん、思い出し笑いをしてるんか?」
「えっ、そんなことないわ」
 雪子と繋いでいる手に力を入れた。

 バス通りに小さな駄菓子屋がある。
 店先で冬はお好み焼を、夏はかき氷を売っていた。
「お好み焼き、半分食べさせてあげるわ」
 一枚、20円で買えるのだ。
「ほんまか、みのるくん、どうしたんや?」
「腹が減っては戦(いくさ)がでけへんもんな」
「いくさするんか?」
「そんなもんや」
 稔は呟いてから、雪子の顔を覗き込んだ。
「食べたら、ゆきこはぼくのいうことを聞いて、大人しくするって約束せなアカンで」
「うん、やくそくする」
 雪子が握っていた右手を離して、小指を突き出した。
 立ち止まって指切りをすませると、雪子の足が早くなった。

 駄菓子屋の近くにいくと、いつも軒下に繋がれている犬がいなかった。
 おばさんが散歩に連れて行ってることがわかって、稔は喜んだ。
 おじさんは少し間が抜けているけど優しくて頼むとおまけもしてくれる。おばさんはしぶちんで、何かと口うるさいのだ。
「お好み焼き、一枚焼いて」
 みのるが注文すると、奥に座っていたおじさんが立ち上がった。
「おめかしして、これからどこへ行くんや」
「ちょっと、用事を頼まれてお使いやねん」
「ほうか、おりこうさんやな」
 小麦粉をさらさらに溶いた生地を、お玉一杯分を鉄板に垂らした。
「二人で半分こするから、おまけして欲しいわ」
「ほうか、おりこうさんには大サービスや」
 そういうと、お玉半分の生地を周りに垂らした。
 お玉の凸面で丸く薄く伸ばしてから、真ん中にキャベツの千切りを載せる。
 そのキャベツの上に生地を、少しだけ回し掛けておく。
 天地返しをすると、きつね色に焼けた全円の薄い生地の下で、キャベツに火が通るいい匂いが漂ってきた。

 次に、おじさんはもう一回ひっくり返す。
 キャベツがこんがりと焼けた裏生地の上に、さっとソースを塗り、天かすをかける。
 そして、お好み焼の真ん中にヘラを押し込んで筋をつけ、そこを折り目にして二つに折る。
 きれいな半月の形になったお好み焼の表面に、ソースを今度はたっぷり塗り、ソースが濡れているうちに青のりを振りかける。

 縁の薄いところがカリッとして、キャベツと天かすが程よく交わいフニャとして美味しいのだ。
 出来あがったお好み焼は、お皿に載せてもらってその場で食べることも出来たが、稔は半分に切って、紙に包んでもらった。
 歩きながら食べるといっそう美味しく感じるのだった。

「ソースをこぼして、服を汚したらアカンで」
 顔を前に突き出して、ソースが流れ落ちても服に付かないようにして食べた。
「これで、いくさできるな」
 雪子が口についているソースを舌で舐め取りながらいった。
「そうや、戦に勝てる気がしてきたわ」
 稔も指先で唇に付いているソースをを拭った。
「そやけど、だれといくさするんや?」
 稔は華房の顔を思い浮かべたが、違うような気がする。
 たぶん、自分の中に在る何かと、戦うのだと思った。

 食べ終わった包み紙は、きれいに折りたたんでから大きな石を浮かして、その下に突っ込んだ。
 風に飛ばされるとゴミになるけど、こうしておけばバクテリアが食べて土に還ると信じているのだ。

「お姉ちゃんのひみつ、おしえてほしいか?」
「えっ……」
 急にいわれて、稔は返答に困った。
「あんなぁ、おしっこするところから、血を出しはってん。気持ちわるいやろ」
 稔は女子が大人になりかけると、そうなることを知っていた。
 母親の文江が、時々「月のものがきてしんどい」といって、寝込む姿も見ている。
 しかし、初めての時はお祝いをするらしいことも知っていた。
 達也の家では、お赤飯を炊いたと聞いている。
 雪子の口調では、律子の家はお祝いをしていないようだ。

 雪子にもいずれ訪れることなのに……。
 達也なら、はっきりと教えるかもしれないが、稔は告げることが出来ない。
「みのるくん。あんまり気持ちわるがらんといてや」
 稔が黙ってしまったので、雪子はそう思ったようだ。
「お姉ちゃんを、嫌いにならんといてや。雪子を好きになって欲しいだけや」
 稔はまた黙ってしまった。
「ゆきこがひみつをおしえてあげたから、みのるくんもおしえてや」
「ぼくには、秘密なんかないわ」
「だれにもいってへんこと、ないんか?」
「あることは、あるんやけど」
 疑問に思っていることはあるのだけれど、そのことを雪子にいってもしかたがない。
「ずるいわ、ゆきこにだけいわして」
「ぼくが訊いたんやないで、それに雪子の秘密と違うし」
「でも、ゆきこはいうたんやから、みのるくんもいわなあかんやろ」
 なんだか言い負けている感じがする。
「わかった。ゆきこにはわかれへんと思うけど、それでもええか?」
「うん、いうてくれるだけでええわ」
 稔はシャツを畳んで小遣いを貰っていることを話した。
「そんなこと、もうしってるわ」
「話はこれからや」

 百枚たたんで一円だった小遣いが、五十枚で一円に値段が上がったことを説明してから、ビニール袋に入れる手間が増えたので、「本当は損をしていると思うんや」といった。
「お母ちゃんは、ぼくが損をするようなことはせえへんし、不思議やねん」
「おばちゃんが、ヘタしはったんや」
 雪子はなんでもないことのようにいった。
「きっと、もとうけの人に、いいくるめられたんやわ」
 雪子の口から元請けという言葉が出て来たことにも驚いた。
「お父ちゃんとお母ちゃんが、そんなことばっっかりしゃべってはるわ」
「……」
「おばちゃんもわかったはるから、もんくをいわんほうがええ」
 雪子のいう通り化もしれないと思うのと同時に、一年生に教えられて情けなくなってきた。

 赤い郵便ポストが目について、稔はポケットから略図を取り出して見た。
 目印のポストが赤く塗られていて、雪子にわかるように描いてある。
 律子は稔が断るかもしれないと思ったのかもしれない。
 それは、信頼されていないということだと思った。実際、行くことを渋ったことを棚に上げて、稔は悲しくなってきた。

 それほど、雪子を行かせたいと思っているのは、どうしてなのだろう。
 いつも自信たっぷりな華房の顔を思い浮かべる。
 稔は華房と律子の繋がりを知りたいと思うのだけれど、知りたくないとも思うのだった。

「なんで、おねえちゃん。ゆきこにとどけさすんかな。いつもはポストにいれてるのに」
「雪子が手紙を出していたんか? でも、小さいからポストの口に手が届かへんやろ」
「とどくわ!」
 雪子はジャンバーのポケットから手紙を取り出して、ポストの前で腕を伸ばして飛び上がった。
 かろうじて指の先に持った手紙が、ポストの口に触れた。
「雪子、指を離したらアカンで!」
「もうちょっとでゆびをはなすとこやったわ」
 ここで、「めちゃくちゃで、ござりまするがな」と花菱アチャコの物まねをする気にはならなかった。
「律ちゃんに、手紙を頼まれたのは、いつからや?」
「そんなん、おぼえてへん」
 稔は、去年の11月に、紙芝居を観終わったあとで、律子に渡す手紙に華房も書いたことから始まったのではないかと想像している。
「お正月の前やったか?」
「えぇっと、前やった」
「11月やったか?」
「そんなむかしのこと、おぼえてへんわ」
「じゃあ、律ちゃんに手紙が届いたことは何かいぐらいあるんや?」
「いっぱいあるわ」
「えっ、そんなにあるんか? みんな同じ人からか?」
「ちがう。お姉ちゃんのこと、しんぱいしてくれるひと、いっぱいいてはるわ」
 今までのクラスメートたちや、もしかすると華房のグループからの手紙なのだろう。
 稔は嬉しくなった。
「そやから、みのるくんは、ゆきこをしんぱいしてや」
「雪子のこと、しんぱいしてるわ。その証拠にこうして一緒に行ってるんや」
「お姉ちゃんに、たのまれたからや」
「それもあるけど、雪子も心配やし、半分、はんぶんや」
「ゆきこをおおくしてほしい」
「半分、はんぶんや」
「なあ、ゆきこをおおくして」
「半分、はんぶんや」
 稔は歌うようにいった。

 
 ニセ百円札 5 に続く。

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