83 『石袋(いしぶくろ)』 初稿 5 

文字数 3,505文字


 稔は昼ごはんを早く食べると、三畳間でシャツをたたみはじめた。達也が誘いに来るまで少しでも稼ぐのだ。
 いつものように学校であったことを話しながら手を動かす。賢一が転校することと、日直の当番を代わりにしたことを喋った。
「えらい義理がたい子やな。引っ越し先の学校も今日からはじまるんやろ」
「知らんけど、最後は泣いてたみたいやったわ」
「そらそうや。子どもは根こそぎ抜かれてしまうもんな」
「根こそぎって、どういう意味や」
「慣れた場所に根を這っているのに、引き抜かれてしまうってことや。新しい場所で根をはり直すのはしんどいやろな」
 稔は頭の毛を掴まれて、引く抜かれている自分の姿を想像した。下を見ると、裏庭の無花果の木が見える。正月公園、ぬかるんでいる寺の道、小さな橋、学校のダルマストーブと次々に見えた。
 隣近所に住んでいる人々や、集団登校のグループ、クラスメートたちがバイバイと手を振っている。達也と雪子、そして最後に律子の顔が遠ざかっていく。
 稔は身震いをした。

「ごめんください」
 女の人の声がした。
「どちらさんですか?」
文江がミシンを止めて、玄関のガラス戸に映っている人影に訊いた。
「三年八組の岡田賢一の母です」
「あらっ」
 文江は怪訝そうな顔を稔に向けてから、すぐに玄関に下りてガラス戸を開けた。
 稔も立ち上がって玄関を見ると、暖かそうな白いコートを着た女の人の後ろに賢一が立っていた。
 黒いコート姿の賢一は中学生のように見える。
「転校することになりましたので、賢一が今までお世話になったお礼を言いに来ました」
「わざわざ、訪ねて来てくれはったんですか。散らかしていますけど、上がってください」」
 文江に言われて稔は、三畳間に広がっているシャツを片隅に寄せた。
「おじゃまします」
 入って来た賢一の母親が紙袋を下げているのを、稔は目ざとく見つけた。梅田にあるデパートの包装紙だった。

 文江が賢一の母親をこたつの前に案内すると、稔は「奥の部屋で相手してあげて」と賢一と一緒に隣の六畳間に追い払われた。
 ふすまを閉められたので部屋は薄暗い。裏庭の縁側に出る障子の白さが、立っている賢一の影を不気味なものにした。
 天井に吊るしてある蛍光灯の紐を、背伸びして引っ張る。チカチカと灯かりが瞬いて、部屋はぱっと明るくなった。
 稔が足を組んで座ると、仏壇の前に置いてある座布団を賢一の足元に滑らせた。
「ケンちゃんは、家の中でも立ってるんか?」
 賢一はコートを着たままゆっくりと腰を落として正座になった。
「ケンちゃん、どうしてぼくの家に来てくれたんや?」
「……」
「お母ちゃんとは喋ってるんやろ。なんでぼくらと話せへんのや?」 
 稔が訊くたびに賢一の顔が下を向いていく。
 気詰まりになった稔は立ち上がって障子を開けた。
 無花果の木が気持ちを落ち着かせてくれる。振り返ると、賢一はまだ下を向いたままだった。
「そうや、お年玉で買った、巻玉鉄砲を見せてやるわ」
 縁側の片隅に置いてあるみかんの木箱の中から巻玉鉄砲を取り出した。
「ジャイアントコルトやで」
 縁側から賢一に狙いをつける。
「巻玉火薬を入れて暗いとこで撃つと、火花が見えるんや」
 賢一の目の前に差し出すと、手に取ったけどあまり興味を示さない。

 稔は三十円のコルト銃を二個買って二丁拳銃にするか、一個で五十円もするジャイアントコルト銃にするかを迷って、一大決心をして買ったのだ。
 しかし、賢一の大きな手の中では、輝きを失っているように感じた。
 達也の声が聴こえたので、稔は立ち上がって襖に手をかけた。
 文江が声で止めた。
「お母ちゃんが、お客さんが来てるから、後で公園に行くと言うとくわ」
 少し開けた隙間から、賢一の母親が白いハンカチを顔に当てているのが見えた。
「早く行くって言うといてや」
 言ってから急いで閉めると、ふすまに耳を近寄せた。

 玄関に行った文江が「悪いけど」と言っている。早く行かせるの声が無いまま玄関が閉まった。
 戻ってきて「途中ですいません」と声に続いて座る音がした。
「それは大変でしたね」
 文江の丁寧な言葉で喋っているので稔はくすっと笑った。
「ああいう子ですから……」
 泣いているような声だ。
 稔は賢一の耳に届いているかと気になって、首を動かせた。
 賢一は裏庭に顔を向けていた。無花果の木を見ているみたいだった。
 そういえば、賢一は休み時間に廊下の窓から外を眺めていることがよくあった。あれは、校庭の真ん中に立っているユーカリの木を見ていたのかも知れない。
「ケンちゃん、木が好きなんか?」
 表情が変わったような気がする。
「夏休みの終わり頃になったら、美味しい実がいっぱい出来るんや。ケンちゃんにも食べてもらえばよかったわ」
「……」
「遠いところに行ってしまうんやろ」
 さっき想像したことを思い出して、黙っている賢一の顔をしみじみと見た。
「どうしてぼくの家に来てくれたんや?」
 答えが返ってこないのは分かっていたけど、訊かないではいられない。
「……」
 いくら待っても賢一の口から言葉は出てこなかった。

 稔は二人と一緒に外に出た。
「仲良くしてもらって、ありがとうね」
 賢一の母親がそう言って頭を下げた。
 複雑な思いで白と黒の後ろ姿を見ていた。
 二人が路地から消えると、稔は家の中に駆け込んだ。
「お土産、何やった?」
「何や、公園に行かへんのか」
 そう言いながらも文江は、デパートの包装紙の菓子箱を軽く振った。
「この重さは、せんべいみたいやな」
 稔が耳を近付けるとカサカサと音が鳴っている。
「甘いもんやったらよかったのになぁ」
「いただき物に、文句言うたら罰(ばち)が当たるで」
「早く、開けよ」
「仏壇にお供えして、稔が貰ったこと報告せなあかんわ」
 文江は仏壇の扉を開けて、その前に菓子箱を置くと、 チンチーンとおりんを鳴らして手を合わせた。
 目を閉じて口の中で小さくつぶやく。稔も正座をして手を合わせた。
 文江が立ち上がったので、稔は菓子箱を取った。
「もう開けてもえやろ」
「あかん、あかん。お父ちゃんに見てもらってからや。きっと、稔のこと褒めてくれはるわ」
「しょうがないなぁ。辛抱するわ」
 文江が部屋の電気を消してミシンに戻ったので、稔も後を追った。
「何で、ケンちゃんは転校するんや?」
「ちょっと訳があって、岡山の実家に帰ることになったんや」
「ちょっとした訳って何?」
「それは大人の事情や。子どもが知る必要ないわ」
 膝掛をした文江は、ミシンの電源スイッチを押した。
「ケンちゃんのおばちゃん、何で家に来たか言うてはったか?」
「稔が、賢一の友だちになってくれたから喜んではったわ」
「ぼくケンちゃんと遊んでへんで、それに一回も喋ったことないし」
 給食のおかずを食べてもらっていたことは黙っていた。
「小さい頃に口が回らんことをからかわれて、喋らんようになったんやて。家でも、あまり話せへんって言うてはったわ。でも、二学期の終わりに、『友だちが出来た』と喜んで言ったんやて」
 稔は賢一が、自分のことを友だちだと思っていたことに胸が詰まった。
「菓子箱を持って訪ねて来てくれはったんは、せっかく出来た友だちと別れさすようなことになってしまったからや言うてはったわ」
 稔は気持ちが、落ち着かなくなってきた。
「ぼく、ケンちゃんに友だちらしいことしたことないけどな」
「今日、日直を代わりにしたんやろ。稔は普通やと思ってしてたことが、ケンちゃんにとっては嬉しいことやったってことちゃうか」
「日直はしたけど……、ぼく、ケンちゃんに悪いことしてたわ」
 文江がシャツにタグを縫い付ける手を止めて振り向いたので、稔は次の言葉を言い淀んだ。
「言うことがあるんなら、はっきり言わなあかん」
「あんなぁ、ケンちゃんのことを鉄人28号って、みんな言ってるけど、身体が大きいからだけと違うねん。鉄人28号は、主人公の少年探偵が操縦するから正義の味方やねんけど、悪い奴が操縦しても言うこときくんや。そやから頭がカラッポなんや」
 ここまで一気に言った。
「ぼくもみんなと一緒に、ケンちゃんの頭がカラッポやって笑ってたんや。そやから、友だちと違うねん」
「それやったら、何であの子は稔のことを友だちやと思ったんや?」
「それが分かれへんねん。ぼく、どうしたらええんやろ?」
「自分の頭で考えることやわ。お母ちゃんは、みのるに自分を嫌いになるようなことをしてほしくないだけや」
「難しいこと言われても、分かれへんわ」
「神さまが見てへん時でも、自分は見てるやろ。自分のしたことは忘れられへんもんや」
 文江が前を向いてミシンを動かし始めた。


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