18 2013・11・8(金) 第3稿 『無花果』 3 

文字数 3,422文字


 2013・11・8(金) 第3稿 『無花果』 2

 公園にヤス、達也、長沢が集まっていた。Sケンをして遊んでいると、後からきた六年生たちのグループが三角ベースボールを始めたので、隅にあるブランコの方に追いやられた。
「おばけ工場に行こか」稔が言った。
隣町に潰れたセメント工場がある。砂利の山や、長く伸びたすべり台のようなものが残っていて、恰好の探検場所になっている。
「隣町にはもの凄く喧嘩が強い六年生がいてるで、つかまったらボコボコにされてしまうわ」
 達也は頭の後ろに両手を組んだ。
「工場にいる野犬に襲われて、三年生が大怪我をしたらしいで」長沢がチリンチリンとベルを鳴らした。
「うち、行きたいわ」そう言った律子の手を、雪子が「お父親ちゃんが梅田に行く言うてたで」と引っ張った。
「追いかけられたら、その足で逃げられるか?」稔の言葉に一瞬、みんなが黙った。
「俺らが守ったら、ええやん」行くことを嫌がっていた達也が、胸を張って腕を組んだ。
「ぼく、ほんまに心配なんや。捕まったら、スカートめくられてしまうで」
「そんなこと、絶対させへん」律子が、上気した顔で稔を睨んだ。
 視線を外した稔は、半ズボンのポケットに両手を突っ込んで気まずい思いで立っていた。
「逃げる時は、ぼくの自転車の後ろに乗せてあげるわ」長沢がチリンとベルを鳴らした。
「隣町のやつらが、お昼を食べに帰ってるあいだに、行ったらええんや」ヤスが思いついたように言った。
「はよ昼ご飯を食べてから行こか」稔が言うと、達也が肘でつついた。
「そんなん殺生や。おれの母ちゃん、メリヤス工場の昼休みに帰ってから作るんやで。絶対に遅なるわ」
「お母ちゃんに頼んだるから、家(うち)で食べたらええわ」稔が達也の肩に腕を回した。
「ほんまか。ご馳走になるわ」
 ヤスたちは「あとでな」と声を掛け合って散らばっていった。
 律子が雪子を膝に乗せてブランコに座っている。稔は隣のブランコにまたがった。
「律子ちゃんたちも一緒に家(うち)に来たらええわ」
「うわぁ、うれしいわ」雪子が膝の上から降りようとするのを、律子が抱きかかえた。
「まずいご飯も、みんなで食べたら美味しなるわ」達也が律子の顔を覗き込んだ。
「失敬やな。家(うち)のご飯は、美味しくて舌が溶けてしまうで」
「どんなご馳走が出てくるか、楽しみや。律子ちゃんたちが来なくても、ご飯はぜんぶ食べてしまうで」
「お替りはあかんで」
「おれの一杯は、腹いっぱいってことや」
「もう、めちゃくちゃでござりますがなーぁ」
 うつむいていた律子の肩が揺れた。笑ったようだ。
「お腹が減ったら、歩かれへんようになるで」稔が言った。
 律子の腕が開くと、雪子が「お腹が減ったら、歩かれへんわ」と勢いよく飛び降りた。

「お客さん、連れて来たで」稔は玄関に飛び込んだ。
「おかえり」とミシンから顔を上げた母親は、稔の後ろにいる律子と雪子を見ると、「台所から入りぃ」とミシンを止めた。三畳の部屋はシャツで埋まっている。
「たっちゃんも来るからな」
 達也は「姉ちゃんに言ってからすぐ行くわ」と、途中からダッシュしていった。
 三人で流しの蛇口に結びつけてある赤い網に入った石鹸で、ごしごしと手を洗った。
「大根おろし、作ったる。ちりめんじゃこにまぶして食べたらええわ」と台所に来た母親の脇を通って、ちゃぶ台の前に行った。
「うち、ちりめんじゃこ、大好きやわ」声を上げる雪子を律子と一緒に座らせた。
「時間が無いから、早よしてや」
「そんなに急いで、昼から何して遊ぶんや?」
「秘密や、秘密」稔はちゃぶ台を叩いた。雪子も「秘密や」と声を合わせた。
「みのる! いちじく取ってあげたらどうや」母親が台所から大きな声を出した。
「うち、いちじくの実、大好きやわ」雪子は裏庭の木を指した。
「律子ちゃん、いちじくの実、食べるか?」
「……うん」
「いち番おいしい、いちじくの実を取ったるわ」
 稔は裏庭に出ると、目に付いたいちじくの実をゆっくりとねじって取った。先が割れかけているけど熟し方が足りない。
「これ、ゆきこ」ガラス戸に手を置いて待っている雪子に渡した。
「うわぁ、いち番にくれはったわ」雪子は、隣の律子に手を伸ばして見せた。
 稔は二つ目を慎重に選んで取ると、熟している実にアリが残っていないかを確かめた。
「ありがとう」律子は両手で受け取ると、しばらく見つめて胸に持っていった。

「おれの分、残ってるか」
 玄関に顔を出した達也が、台所をすり抜けて稔の横に座った。
 皿の上に乗っているいちじくの実を見て、「俺、好きやないねん」と言った。
「かんしゃく玉、持ってきたで」ポケットから、赤や青、黄色の小さな玉を取り出した。
中に火薬が入っていて、地面にたたきつけると「パン」と大きな音を立ててはじける。
「みのるも、鉄砲を持って行かんとあかんで」じゃこご飯を口に入れながら言った。
 稔は廊下の箱の中から銀玉鉄砲を持ってきた。ランニングシャツを持ち上げて、ズボンのお腹に突っ込んだ。プラステックの滑らかな肌合いが、確かに気持ちを強くさせてくれる。
「ありがとう。おばちゃん」律子が食べ終わった茶碗を流しに置いた。
「ええから、早よ遊びに行き」優しい声が、稔を見ると急に変わった。「暗くなる前に、帰ってくるんやで!」
「分かってるわ!」稔は玄関を出てから、律子に向かって大げさに舌を出した。

「お父ちゃんや!」雪子が駆け出した。
 公園のブランコに、律子のおっちゃんが乗っていた。よそ行きの服を着てブランブランと揺れていた。稔は足を止めて横の律子を見た。おっちゃんは、ゆっくりと近付いてきた。
「これから、梅田へ行くで」
「うち、行きたないわ」
「そんなこと言わんと、一緒に行ってえな」
 不揃いの小さな歯のあいだから息が漏れているような音がした。
 律子は、稔のズボンに差し込んでいた銀玉鉄砲を抜き取った。
「何するんや?」
 稔の言葉に構わずに、律子は左手で銃把の上に出ているプラスティクの棒を引っ張った。カチャリと音がする。律子の顔を探るように見つめているおっちゃんに狙いを定めた。
おっちゃんの喉仏がゆっくりと上下に動く。
ピシュッと発射された弾が、胸元に命中した。おっちゃんの顔から表情が消えた。
しばらく声もなくたたずんでいた。辺りを見回して、稔と目が合うとそらせた。
「雪子、梅田に連れて行ったろか?」静かな声で言った。
「ほんま? うち行きたいわ!」
「着替えてから行こか」おっちゃんの伸ばした腕を、雪子が両手で抱いた。
「行ったらあかん!」律子が叫んだ。
 振り向いた雪子は、あかんべえをした。
「みのるくん、ごめんやで」
 銀玉鉄砲を返すと、律子は激しく肩を揺らしてふたりのあとを追いかけていった。
「なんや、律子ちゃんも行きたかったんやな」達也が呆れた口調で言った。
 銀玉が地面に落ちている。
「律子なんか大嫌いや」稔はかかとを押し付けて砕いた。

 翌朝、稔は頭が痛いと言って起きなかった。ミシンの音を聴きながら、枕を抱いてフトンの上を転がる。雨になったのが救いだった。
「たっちゃんが来てくれたで。帰ってもらうんか」母親の声に、「上がってもらって」と大声で応えてから、枕を頭に戻して、ゴホッゴホッと咳をした。
  枕元に来た達也は、しょんぼりとしていて、いつもの元気が無かった。
「どこか、悪いんか?」寝ている稔が訊いた。
「あんなぁ……律子ちゃんが、大怪我したそうや」
「なんでや!」思わず飛び起きた。
「昨日、梅田で車に轢かれたんや」小さな声になった。「わざとぶつかって、おっちゃんがお金もらうんや。父ちゃんが言うてたわ」
稔は母親に確かめるために、シャツの山を飛び越えた。
「律子ちゃんのこと、ほんまか!」
「可哀そうにな」とつぶやいただけで、ミシンから目を上げなかった。
「なんでや」母親の肩を掴んで揺らした。
 胸の辺りが狭くなったみたいで、息がうまく入らない。シャツの山を踏んで、裏庭の廊下まで行った。ガタガタとガラス戸を開ける。雨の中に無花果の木が、しんとして立っていた。繁っている葉や実が、くっきりと見える。稔はみかん箱を持って裏庭に降りた。
「何するんや」
「律子ちゃんに、いちじくの実を食べさせてあげるんや」
 右手で大きな実をつかんだ。ねじって引きちぎると、にゅるっと流れた感触に身体が震えだした。幹を掴むと揺れた木から、葉に溜まっていた雫が降り注いだ。
 雨の音だけが耳に響いた。

 終わり
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