第44話 ニセ百円札 3

文字数 2,679文字

 稔は家に帰ると、すぐ文江に尋ねた。
「ごうぎせいって、知ってるか?」
「お母ちゃんに難しいことを訊いてもアカンで」
 文江がミシンから離れて、台所へいっても、稔は背中に華房とのことを説明した。
「ああ、合議制かも」
 文江は、思い当たったかのようにうなずいた。「一人で決めんと、何人かで相談して決めることやと思う」
「民主主義って、ことなんか」
「そやから、難しいことは聴いたらアカンいうてるやろ」

 昼ごはんを食べている間も、稔は喋り続けた。
「なんか偉そうで、嫌やったからグループに入らんっていったんや」
「同じ六年生の子が敬語を使ってるんなら、本当に偉いかもしれんで、みのるがアホなだけかもな」
「ぼくがアホなら、達ちゃんは、どアホやで」
 稔がたくわんを嚙みながらいった。
「達也ちゃんは、勉強はアカンかもしれへんけど、人の気持ちを見抜く力はあるみたいや」
「お母ちゃんは、達ちゃんのこと気に行ってるもんな。何番目に好きや?」
「そうやなぁ、十番目ぐらいかな」
「一番はだれや?」
「お父ちゃんに決まってる」
 食べ終えた文江は、煙管でタバコを吸いながらいった。
「それやったら、ぼくは何番目や?」
「そうやなあ、九番目……」
 文江が、タバコの煙を吐き出した。
「ええっ」
「それから、二番目まで、全部みのるや」
「そんなに、いっぱい好きなんか」
「もちろんや、二番から九番やから、足したらお父ちゃんを越えるかもしれへんな」
「めちゃくちゃで、ござりまするがな」
 花菱アチャコの物まねをした。

 昼食を終えた稔は、三畳間に山積みになっているシャツをたたみ始めた。
 達也が新しい友だちと遊ぶのなら、誘いにこないだろうし、雪子を怒らせてしまったし、公園には行かないつもりだ。
 シャツを台紙に合せてたたんでから『スマート肌着』と印刷してあるビニール袋へ入れる。
 以前は、百枚たたんで一円だった小遣いが、五十枚で一円に値段が上がったが、ビニール袋に入れる手間が増えたので、本当は損をしていると思うことがある。
 しかし、文江にはいえないでいる。

 京阪電車が通り過ぎる大きな音が聞こえた後に、玄関の引き戸を叩く小さな音がした。
「どなたですか?」
 文江がミシンの手を止めないで訊いた。
「ゆきこです」
 その声に稔はすぐに玄関に下りて、引き戸を開けた。
 赤いジャンバーを着た雪子が、恥ずかしそうに立っていた。
「誘いにきてくれたんか?」
「ちがう、お姉ちゃんのおつかいやねん」
「律ちゃんが、どうかしたんか?」
 早口になった。
 何か悪いことが起こったのかと思った。
「雪子ちゃんは、お出かけ姿やな。どういう風の吹き回しなんや」
 よく見るとくつも新しい赤いくつだった。

 雪子は律子に頼まれたといって、ジャンバーから二つに折れている手紙を取り出した。
 稔が受け取って、封筒の中身を見ると、手紙と略図が描いてある紙が入っていた。
「おてがみは、おばちゃんによんでほしい」
「わたしが読んでもええんかな」
「ゆきこにもわかるように、こえをだしてよんでほしい」
「ああ、そういうことか」
 文江は雪子に「玄関先で立っていないで、中に入って」と、三畳間に座らせた。

 稔が手紙を渡すと、文江がゆっくりと読み上げる。
   みのるくんにお願いがあります。
   雪子を華房くんの家へ連れて行って欲しいのです。
   信頼できる人です。
   お願いします。
                     律子
 稔は、略図を見ながら聞いていた。
 小百合が住んでいるお屋敷通りの中に、黒く塗り潰している箇所があった。
「雪子ちゃんは、華房って子のところへ行って、どうするんや?」
 手紙を読み終わった文江が、稔の手から略図を取り上げた。
「もうひとつ、お手紙があるんや」
 律子と華房が文通しているのに、どうして雪子に届けさせるのかと、稔は不思議に思った。
「もし、みのるが嫌やいうたら、どうするんや?」
 略図を見た文江も、稔が王将の駒を取り返しに行って、ひどい目に会った場所だとわかったようだ。
「……」
 雪子が目を大きく見開いた。
 断られるとは思っていないようだ。
「一人でも行くつもりなんか?」
「いえのまえまで、つれていってほしい」
 声が弱くなった。
「そうか、一人でも訪ねて行くんやな」
「おねえちゃんに、おつかいたのまれたもん」
「みのるよりもしっかりしてるな。みのるはびびって、よう行かんみたいやわ」
「ぼく、びびってへんわ」
「律子ちゃんが信頼できると書いてるんやから、本当やろ。みのるが自分の眼で確かめてきたらええんと違うか」
「……」
「食べ物の好き嫌いはしょうがないけど、人の好き嫌いはじっくり考えてからせんとあかん」
 稔が返答に詰っていると、丁度、達也が引き戸を開けて、「公園へいこ!」と、顔を突っ込んできた。

「なんや、雪子。稔の家の子になったんか」
「まだ、およめさんになってへん」
 二人の会話に文江が笑った。
 達也の姿を見て、稔はほっとした。
「さすが、達ちゃんや。ええところに登場するわ」
 稔は達也に幅房のことを話して、一緒に行って欲しいとたのんだ。
「おれ、なんかあいつ嫌いやねん」
 達也がはっきりと口にした。
「みのるが律ちゃんに頼まれたんやろ。おれは頼まれてへん」
「そやから、ぼくが達ちゃんに頼んでるんや」
「それは、筋が違う。みのるが律ちゃんを裏切ることになる」
 稔は、達也が行きたくないので屁理屈をいっていると思った。
「達也ちゃんのいう通りや」
 言い返すのが面倒になった稔は、
「ぼくが連れていく」と宣言した。
「じゃあ、みのるの分まで、公園で遊ぶわ」
 達也が背中を向けた。
「ゆきこのぶんもあそんでや」
「まかせとけ!」
 引き戸を閉めた達也の足音が遠ざかっていった。
「みのるも、お出かけ用の服に着替えなアカンな」
 文江は立ち上がって、奥の部屋へ行った。
「ちょっと待っててや」
 雪子にいって、稔も後を追った。
* 
「お母ちゃん、ぼくのサイフから20円出して」
 稔は半ズボンを履き替えながらいった。
「駄菓子屋に寄ってお菓子を買ってもええけど、食べ歩きしたらアカンで」
 文江は稔が脱ぎ捨てた服を、たたみながら注意した。
「そんな行儀が悪い事せえへんわ」
「それやったら、お母ちゃんのサイフからも10円出してあげるわ」
「おおきに」
 稔は両手を広げて差し出した。
「雪子ちゃんは、物怖(ものお)じせえへんから、かえって心配や。ちゃんと、面倒をみなあかんで」
 文江は小銭入れから30円を取り出しながらいった。
「そんなん、いわれんでもやってるわ」
 稔は文江にもムカついた。


 ニセ百円札 4 に続く。

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