130 小説を書いているあいだは 

文字数 1,106文字


 小説を書いているあいだは、自分がこの世から消えてなくなってしまうような気持ちを忘れられる。それどころか、自分は生きているんだって感じられる。
 パソコンに向かって夢中になってキーボードを叩いたり、次の展開を考えたりしていると、胸の高まりを感じていられるのだ。

 とにかく、文学学校が楽しいのだ。

 退職金の60万円では2年間しか文学学校に通えないことがわかったときに、残りの1年を新しいチューターの下で過ごすことは考えられなかった。
 それほどぼくは、Sメソッドなるものにハマッてしまったのだ。
 だから、「もう1年、ここで学ばせてください」と熱いラブコールを送り続けたんだ。
「私を納得させる作品を30枚で書くことが出来れば、半年間残してあげる」と条件を出されて、ぼくは『無花果』を書いた。

 Sチューターは、ぎゃふんといわなかったが、「樹木」にチューター推薦で掲載されることになった。

 ぼくは半年延期を勝ち取ったのだ。
 そして、Sクラスに残ったから、藤枝志津(うさぎ子)さんと出逢うことになったといえる。
 うさぎ子さんは組会の自己紹介で、「物語を書くために、日本画の制作を辞めてきた」と前置きをしてから、「頭がパかッと割れて、物語が溢れ出てくるんです。困ったもんやわ」と言ってみんなを驚かせた。

 京都の大学で日本画を教えている教授とは、とても思えないチャーミングな人だと思った。
京都特有の柔らかい口調で、毒を吐くことを知る前までだけど。

 ぼくは半年後にSクラスを追い出されたんだけれど、元Sクラスのメンバーで作った勉強会に参加していた。
 ぼくたちは、毎月第一日曜日に千日前の「丸福珈琲店」に8人ぐらいが集まってはそれぞれが書いた小説を合評していた。
 うさぎ子さんも、Sクラスの現役なのに勉強会の一員になっていた。
 そして、「深友」のタイトルの純文学作品を提出した。読むとぼくのことではないことに、少しがっかりした。

 ぼくが何かと雑用の多い土曜日の午後12時から始まる尾之上クラスを選んだ理由の一つに、Sチューターが毎月一回行う文章講座に出る目的があった。
 ほかの講座や、文学学校の催しにも参加できるしさ。

 これは、積極的に文学について多くを学ぼうという意識よりも、「元を取る」関西人の貪欲さが身体に沁みついているからだ。

 アルコールを全く受け付けないぼくは、ほとんど呑み会には行かない。おまけに偏食で、牛・豚・鳥の肉や貝類、キノコ類とか、とにかく面倒な奴なんだ。
 でも、Sチューターが参加する食事会や呑み会には喜んでついて行く。だから、ぼくのほうが年上なのに、うさぎ子さんと共にSチルドレンと呼ばれてしまっている。


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