第67話 ニセ百円札 26
文字数 1,981文字
*
「夕べ、お母ちゃん、なに話したはった?」
稔は達也の顔を見るとすぐに訊いた。
「工場の景気が悪いことを喋ってはったわ。おれの母ちゃん、声が大きいから内緒話なんかでけへん。家がせまいしみんな聴こえるんや」
「ぼくがミシンの古いことを知ってたことを知ってたんや」
「ややこしいな。もう一回いってみてくれ」
「そやから、ぼくがミシンの古いことをいわへんかったことを知ってたんや」
「それは、おれが教えたんや」
「なんでや?」
「みのるの性格やったら、ずっと黙ってるやろ。そんなこと秘密にしててもしょうがないと思ったからや。怒られたんか?」
「違う。褒められたわ」
「それやったら、おれに感謝せんとアカンな」
「カンシャ、カンゲキ、雨あられや」
「なんや、それは?」
「いっぱい、感謝してるってことや」
駅の方角から増井が帰ってくる姿が見えた。
稔が駈け出すと、達也も追いかけて来た。
「たかし兄ちゃん、おはよう!」
「おうっ、おはよう。出迎えてくれるんか」
「今度、いつお休みなんや?」
「なんや、恋人みたいなこと聞いてくるな」
「ええから、早く教えて」
「田舎帰った時に、ずいぶん休んだから、しばらくないわ」
「それやったら、兄ちゃんが起きている時に行ってもええか」
「そうやな、みのるが学校から帰ってくる頃なら起きてるわ」
「わかったわ」
一度別れようとしたが、思い出したことがあった。
「そうや、ぼくが三年生の時に教えてくれたレーニンはんの言葉やけど」
「なんやったかな」
「『一人は万人のために、万人は一人のために』や」
「おおっ、そうやったな」
「六年生で教えてもらえるって、いってたけど、五年生で習ったわ」
「学校で教えたんか?」
増井が意外そうな顔をした。
「華房さんが石田三成の旗に書いてあるって、教えてくれはったんや」
「それやったら、どっちがほんまか勝負せなあかんな」
「どんな勝負するんや?」
達也が訊いた。
「ジャンケン勝負や」
「えっ、そんなんと違うやろ」
稔は一瞬、増井に相談するのをやめたほうがいいかもしれないと思った。
「大切なんは、誰の言葉かやない。自分がその言葉を信じるかどうかや」
「そんなん、ズルいわ」
達也がいうと、増井はくっくっくっと笑った。
「はよ、学校へいかんと遅れるぞ」
「兄ちゃんに、いわれんでも行くわ」
稔は達也と競争しながら公演へ向かった。
「やっぱり、アンポ反対のデモで頭を割られて、アンポンタンになったんやな」
達也は増井のことを、あまり知らないので、バカにしているのだ。
「たかし兄ちゃんは、アンポンタンと違うわ。ネジが一本外れてるだけや」
公園に着いても、雪子がそばに寄ってこなかった。
「まだ、昨日のこと怒ってるんやな」
「……そうみたいや」
「こういう時は、みのるから行かんほうがええんや」
「でも、謝らんと……」
「謝っても、謝らなくても同じや」
「女心なんか?」
「そうや、しばらくこのままで見守るだけにしたほうがええわ」
「……」
稔が一人でぽつんと立っている雪子を見ていると、ねこバアが声をかけてきた。
「夕べの騒ぎはもう聞いたか?」
「なんか、あったんか?」
達也が質問で返した。
ねこバアが、雪子の父親の裕二が、お酒を呑んで駄菓子屋に怒鳴り込んだと教えてくれた。
恐くなったおばさんが警察を呼んで、裕二がパトカーで連れて行かれた。ということだった。
雪子がオモチャの百円札を使った犯人にされていたことと、おばさんが「あんなとこに住んでいるもんは、最低の人間ばっかりや」といったことも知っていた。
「今回は、ゆきこの父ちゃんは悪くない。親やったら、文句のひとつもいいにいって当たり前や」
ねこバアと駄菓子屋のおばちゃんは、仲が悪いのだ。
犬の散歩で公園にきた時、ねこバアがいると、いつも犬をけしかけて、猫を脅かすから嫌いなのだ。
*
学校へいくと、オモチャではなくて、ニセ百円札が使われたと噂が広がっていた。
四時間目が終わったときに、稔は東野先生から、早く給食を食べて一緒に職員室に行くようにといわれた。
「今日のおかずも残すから、いかれへんと思います」
そういうと、東野先生は「ちっ」と舌打ちして黙って教師机へ行ってしまった。
給食を食べ終わった生徒たちが、校庭へ遊びに行く。
「みのる!」
廊下からの声に顔を向けると、達也が手を振っていた。
横に小百合もいて、大塚先生と一緒だった。
これから職員室へ行くようだ。
稔は華房紙幣に関係のない達也が、どうして呼び出されたのか不思議だった。
一緒にいるのだと思うと心強いのだが、自分が巻き込んでしまったという気持ちもある。
東野先生は、我慢がしきれなくなったのか、つかつかと稔の前まできた。
「今日だけは特別に食べなくてもいいから、一緒にくるんだ」
稔は、今日のおかずがクジラの竜田揚げならよかったのにと思った。
ニセ百円札 27 に続く。
「夕べ、お母ちゃん、なに話したはった?」
稔は達也の顔を見るとすぐに訊いた。
「工場の景気が悪いことを喋ってはったわ。おれの母ちゃん、声が大きいから内緒話なんかでけへん。家がせまいしみんな聴こえるんや」
「ぼくがミシンの古いことを知ってたことを知ってたんや」
「ややこしいな。もう一回いってみてくれ」
「そやから、ぼくがミシンの古いことをいわへんかったことを知ってたんや」
「それは、おれが教えたんや」
「なんでや?」
「みのるの性格やったら、ずっと黙ってるやろ。そんなこと秘密にしててもしょうがないと思ったからや。怒られたんか?」
「違う。褒められたわ」
「それやったら、おれに感謝せんとアカンな」
「カンシャ、カンゲキ、雨あられや」
「なんや、それは?」
「いっぱい、感謝してるってことや」
駅の方角から増井が帰ってくる姿が見えた。
稔が駈け出すと、達也も追いかけて来た。
「たかし兄ちゃん、おはよう!」
「おうっ、おはよう。出迎えてくれるんか」
「今度、いつお休みなんや?」
「なんや、恋人みたいなこと聞いてくるな」
「ええから、早く教えて」
「田舎帰った時に、ずいぶん休んだから、しばらくないわ」
「それやったら、兄ちゃんが起きている時に行ってもええか」
「そうやな、みのるが学校から帰ってくる頃なら起きてるわ」
「わかったわ」
一度別れようとしたが、思い出したことがあった。
「そうや、ぼくが三年生の時に教えてくれたレーニンはんの言葉やけど」
「なんやったかな」
「『一人は万人のために、万人は一人のために』や」
「おおっ、そうやったな」
「六年生で教えてもらえるって、いってたけど、五年生で習ったわ」
「学校で教えたんか?」
増井が意外そうな顔をした。
「華房さんが石田三成の旗に書いてあるって、教えてくれはったんや」
「それやったら、どっちがほんまか勝負せなあかんな」
「どんな勝負するんや?」
達也が訊いた。
「ジャンケン勝負や」
「えっ、そんなんと違うやろ」
稔は一瞬、増井に相談するのをやめたほうがいいかもしれないと思った。
「大切なんは、誰の言葉かやない。自分がその言葉を信じるかどうかや」
「そんなん、ズルいわ」
達也がいうと、増井はくっくっくっと笑った。
「はよ、学校へいかんと遅れるぞ」
「兄ちゃんに、いわれんでも行くわ」
稔は達也と競争しながら公演へ向かった。
「やっぱり、アンポ反対のデモで頭を割られて、アンポンタンになったんやな」
達也は増井のことを、あまり知らないので、バカにしているのだ。
「たかし兄ちゃんは、アンポンタンと違うわ。ネジが一本外れてるだけや」
公園に着いても、雪子がそばに寄ってこなかった。
「まだ、昨日のこと怒ってるんやな」
「……そうみたいや」
「こういう時は、みのるから行かんほうがええんや」
「でも、謝らんと……」
「謝っても、謝らなくても同じや」
「女心なんか?」
「そうや、しばらくこのままで見守るだけにしたほうがええわ」
「……」
稔が一人でぽつんと立っている雪子を見ていると、ねこバアが声をかけてきた。
「夕べの騒ぎはもう聞いたか?」
「なんか、あったんか?」
達也が質問で返した。
ねこバアが、雪子の父親の裕二が、お酒を呑んで駄菓子屋に怒鳴り込んだと教えてくれた。
恐くなったおばさんが警察を呼んで、裕二がパトカーで連れて行かれた。ということだった。
雪子がオモチャの百円札を使った犯人にされていたことと、おばさんが「あんなとこに住んでいるもんは、最低の人間ばっかりや」といったことも知っていた。
「今回は、ゆきこの父ちゃんは悪くない。親やったら、文句のひとつもいいにいって当たり前や」
ねこバアと駄菓子屋のおばちゃんは、仲が悪いのだ。
犬の散歩で公園にきた時、ねこバアがいると、いつも犬をけしかけて、猫を脅かすから嫌いなのだ。
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学校へいくと、オモチャではなくて、ニセ百円札が使われたと噂が広がっていた。
四時間目が終わったときに、稔は東野先生から、早く給食を食べて一緒に職員室に行くようにといわれた。
「今日のおかずも残すから、いかれへんと思います」
そういうと、東野先生は「ちっ」と舌打ちして黙って教師机へ行ってしまった。
給食を食べ終わった生徒たちが、校庭へ遊びに行く。
「みのる!」
廊下からの声に顔を向けると、達也が手を振っていた。
横に小百合もいて、大塚先生と一緒だった。
これから職員室へ行くようだ。
稔は華房紙幣に関係のない達也が、どうして呼び出されたのか不思議だった。
一緒にいるのだと思うと心強いのだが、自分が巻き込んでしまったという気持ちもある。
東野先生は、我慢がしきれなくなったのか、つかつかと稔の前まできた。
「今日だけは特別に食べなくてもいいから、一緒にくるんだ」
稔は、今日のおかずがクジラの竜田揚げならよかったのにと思った。
ニセ百円札 27 に続く。