第69話 ニセ百円札 28

文字数 2,403文字



「証拠となるオモチャの百円札が校長先生の手にあるのが、何よりの証拠です」
 達也が稔の耳元に口を近づけてきた。
「証拠が証拠やて、うまいこというな」
 語尾が上がったのは、笑いをこらえているからなのだろう。下を向いて笑いを我慢していた稔は、肩が揺れるのをとめることが出来なくなった。
「浦山!」
 東野先生の怒鳴り声で、稔はピクンと身体を動かせて顔を上げた。
 一瞬、目が合ったが、東野先生は華房に視線を戻した。
「華房、俺がいっているんだから、俺に答えろ」
「先生にも、聞こえているからいいじゃないですか」
「お前は、俺をバカにしているのか!」
「この場では、最終決定権があるのは校長先生です」
 そういわれた東野先生は、ぐっと息を詰まらせた。
「校長先生の上は、教育委員会でいいんですよね。東野先生?」
「んっ……、なんだ?」
「東野先生、学校その他の教育機関を管理し、教育職員の身分取扱に関する事務を行うって書いてあるのは、どんな法律だったか教えてください」
「……」
 戸惑っているだけで、東野先生は黙ってしまった。
「東野先生、地方自治法だったと思うんですが、間違っていますか?」
「……」
「東野先生、昭和二十二年に作られた法律でしたよね。その第何条だったか覚えていますよね」
 矢継ぎ早に質問をする華房に、東野先生は言葉にならない「ああっ」とか「ううっ」とかを繰り返すだけだった。「……」
「東野先生、第百八十条の八であっていますか?」
「東野先生は、僕の質問には何も答えてくれないんですね」
 完全にバカにした口調だった。
「校長先生、地方自治法、第百七十条の八でいいですよね」
「ああ、そうだったな」
「ああ、そうだかな」
 華房が校長先生の口調を真似た。
「ぼくが間違っていました。第百八十条の八でした。こんな単純なことを、どうして間違ってしまったのかな」
 校長先生の顔がみるみる赤くなったが、黙ったまま上着のポケットからタバコを出して吸い始めた。
「大人をからかって、面白がっているんじゃない」
 東野先生の声が低くなっている。
「別に楽しんでいっているわけじゃありません。時間のムダだから、早く終わりたいだけです」
 校長先生はタバコに火をつけてひと口吸ってから、交換会を即時に中止することを命じ、違反する者は厳重注意するといった。
 
「校長先生、ここに担任の先生たちもいらっしょるので、確認したいことがあります」
「んっ、なにをだ」
「僕たちのテストの点数を、改ざんするようなことはありませんね」
「何をいいだすんだ!」
 東野先生が口を出し手来た。
 達也がまた稔の耳元に口を寄せて来た。
「かいざんってなんや?」
 稔も知らなかったので、相手にしないでいた。
「校長先生に訊いているんですが……、算数のように答えが明確であればいいんですが、国語のように、先生の主観で点数が左右される場合、今回のことが影響しないように、くれぐれもお願いします」
「お前は、教師を何だと思っているんだ! 敬意というものを持っていないのか!」
「ぼくも、先生がたを心から尊敬したいのです」
「……」
 華房の口調には、真剣さが感じられたので、東野先生も黙ってしまった。
「倉井さん、生徒会長のことは、お家(うち)で話し合ったの?」
 大塚先生が、場の空気を変えようとしたのか、まろやかな声で訊いた。
「はい、選ばれたのだから、責任を持ってやるつもりです」
 倉井は、はっきりと表明した。
「生徒たちが選んだことを、教師が口出しできないものね」
 わざと聴こえるように独りごとをいった。
 華房も、副会長を辞退することはしないと宣言した。
「それから、生徒会では、先生の評価をぼくたちと同じように5段階でつけて、学期末にお渡しします」
「何をいってるんだ。まだ全体会議も行っていないのに」
「問題ありません。そうしますから。その評価を公表するかどうかは、多数決で決めます」
「きみはまだ子どもだから、わからないと思うが、私の長年の経験でいうと、そんな屁理屈は通用しない。小さな戦闘に勝っても、必ず大きな戦争に負けてしまうのだ」
「この先、どんな世界になるにしても、僕たちは生きて行きます。五十年後の僕たちを、校長先生に見てもらえないのは残念です」
 校長先生はタバコにむせて、咳が止まらなくなった。

 稔が会議室を出ると、華房に呼び止められた。
「浦山くん、敵に塩を送っては駄目なんだ」
 駄菓子屋のおばさんを、そんなに悪い日とではないといったことだとすぐにわかった。
「ほんまのことを、いっただけやけど……」
「きみがいう本当のことは、一面でしかないんだ。闘う時は、自分の感情を抑えて、状況に合せた本当のことしかいわないものだよ」
「かいざんってなんや?」
 達也が割り込んできた。
「お前、華房さんに失礼だろ」
 大宮が達也の肩をわし掴みした。
「いいんだ」
 華房が目でとめてから、達也に説明をした。
「書類を自分たちの都合のいいように書き直すことだ。たとえば、テストの結果が百点なのに記録に八十点と描いたりすることなんだよ」
「それやったら、おれしてるわ。10点を40点に書き変えてるもんな」
「きみの親は、テストの問題を見ないのか?」
「適当に赤い丸も書いといて、先生が間違えはったというねん」
 華房は呆れたのか黙っている。
「どうせなら、『1』を『7』にしたらええのに」
 稔がからかうようにいった。
「そんなん、すぐバレてしまうわ。五十点以上、取ったことないんやで」
 自慢するようにいったので、華房が笑い出した。
 つられるようにして、倉井も笑い始めたので、その場にいた全員が声を出して笑った。
「交換会は、お終いにするんか?」
 達也が訊いた。
「仕組みは間違っていない。大人たちの認識が追いついていないだけだから、秘密裡にやるよ」
 稔は交換会が続くようなので、雪子に「心配しなくていい」と早く告げたかった。


  ニセ百円札 29 に続く。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み