126 2014年、春。

文字数 799文字


 1 2014年、春。

 本科で一緒だった柴咲島弧(トーコ)さんから3月に
≪『樹木』の最新号に、浦山さんの小説「無花果」が載っていましたね。
これから読んでみます。楽しみです。浦山さんも、何か文学賞に挑戦したらいいですね≫
とメールをもらったんだ。

 トーコさんは、元T大学の教授だということをずいぶん後に知ったんだけれど、いつもちょっと困ったなあという顔をしていた。

 本科にいた時に、ぼくはトーコさんと個人的に親しく話をしたことはなかったんだけど、ある日、組会後の*ダベリングで使っていた薬業年金会館の二階の広い喫茶店に、何故かトーコさんとぼくとSチューターの三人だけが居残ったことがあったんだ。
(*「ダベリング」ダベること、とりとめのないおしゃべり・四方山話に興じることを指す意味で使われることのある表現。ほぼ死語、もしくは、完全に死語。)

 そのときに、Sチューターのスイッチが突然に入って、ぼくが書いた掌編『湖音シリーズ』の掌編の熱烈指導が始まったんだ。

 ぼくの隣に座っていたトーコさんは、帰るに帰れなくなって、やっぱり困ったような顔をしていた。

 Sチューターがひと息いれているあいだに、トーコさんが
「素敵な帽子ね」
 とぼくのキャップを褒めてくれた。

 濃紺地に白い糸で「JA Akagi Tachibana」と筆記体の刺繍がしてあるキャップは、群馬県の義父が亡くなったときに、義母が「もらってくれないかい」と差し出した「赤城たちばな農協」の配布物だった。

 ぼくが気に入って被っているだけで素敵なはずはない。

 Sチューターの呪文のような言葉にがんじがらめになっていたぼくにとって、それは魔法を解く言葉だった。

 本科を追えて詩のクラスに移ったトーコさんが、ぼくのことを忘れずにいてくれたことが嬉しかった。
 でも、<文学賞に挑戦>だなんて、考えてもいなかったし、ぼくにそんなことが出来るとも思わなかった。



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