43  2015・5・23(土) 組会 評  

文字数 2,644文字


 山上さんの評に気をよくしたぼくは、翌日の文学学校の組会に意気揚々と臨んだ。

 原稿を郵送したときに、次のような文章を添付していたんだ。 

 自分で読み返して、色々な箇所が気になりますが、
 特に下記の3点について、意見をお聞かせ下さい。

1)2年前に書いた『無花果』の続編ですが、『夜が匂う夏』単独の作品として成立しているか。

2)昭和36年を設定していますが、描写との齟齬はないか。

3)関西弁のセリフに対しての違和感。


 土曜日の12時から始まる組会には、18名(男性・12名、女性・6名)が出席していた。
 欠席は3名。

 いつものことだけど、合評される前は、まな板の上で、料理されるのを待つ鯉の心境。
 いや、ぼくは鮒か……。

 まず、欠席した人の評から紹介するよ。
 これは、一同に会しての批評だと、どうしても「場の雰囲気」とか「場の流れ」があって、それらに影響されてしまうんだよな。
 
 男性(30代)
 気になされていた3点ですが、
1)作品としては単体としても問題無く読めます。ただ最初に子供の名前が沢山出てくるので関係性を分かりやすく説明するか、もう少し減らしたら読みやすいかもしれません。明美の職業について明記しなかったのは子供目線だったからだと思いますが、雰囲気で分かる様にしているのはさすがです。
 
2)申しわけないですがこの時代の雰囲気については分かりません。ただその時代に使われていたであろう言葉を使われているのは仕方ないのですが(『あっぱっぱ」って割烹着のことですか?)、良く分からなかったので地の文では正式名称で書いてもらえると助かります。

3)少しコテコテな気もしますが、これも時代によって変化するものだと思うので僕にはどうとは言えません。
それからタイトルなのですが、個人的には無花果よりもねずみの話の方が印象が強かったです。もっと無花果を明美さんに絡ませてもいい気がします。"


●男性・30代
 タイトルがよくない。
 当時の子どもを活写したいのだと感じた。
 文枝(ふみえ)の名前で桂文枝(ぶんし)を思い浮かべるので、変えたほうがいい。


●男性・50代。
 団塊世代のための小説。
 子どもが多過ぎて、誰がだれだかわかりにくい。
 少ししか出てこないこどもは、名前をつけなくていい・
 ラストは唐突感がある。

●女性・40代。
 五年生の男の子が「照代さん」と呼ぶのはおかしい。
「隣のおばちゃん」
 母親が家出をした理由が、父親がラジオを修理しないからだというのは説得力がない。
 他の理由の説明が必要だ。

●女性・30代。(東京出身)
 私はこの時代のことはよくわからないので、いろいろ説明して下さっているのを、読み飛ばしました。
 夫婦喧嘩なんて、ちょっしたことで起こるので私は気になりませんでした。
 ただ、大阪の子はあけすけなことを喋るんだなと驚きました。
 だから、大人になってもそうなんだなと納得しました。
 (ここで、爆笑9
 私の好きなタイプの小説ではありませんが、浦山さんは、この時代のことを書きたいのだと思いますが、現代の子どもにおきかえてもいいんじゃないかと思いました。

●男性・40代。
 私は小さい頃、大阪でそだったが、こんなにあけすけではなかった。
 土地柄があるのかな。
 書かれていないことが多すぎる。
 母親のこと、父親のこと、律子のこと。金田の父親のこと。 

●女性・40代。 
 お母さんが家出をするときに、一人っ子の稔を置いていかないと思う。
 それに、隣の照子さんが、億さんがいない家に明美を預けることは、考えられない・
 作為的過ぎる小説だと思った。

●男性・50代。
 なんで明美が稔にやさしいのかがわからない。
 誘惑しているのかなとかんがえたが、稔は小学生だし、
 稔をもっと個性的な小に設定して、事件を盛り込んだほうがいい。

●男性・60代。
 父親が工場から帰ってくる。としか書かれていない。
 徒歩なのか、バスなのか、電車なのかを手抜きしないで書いた方がいい。
 父親がどの戦線に言ったのかをにおわすような書き方が必要。
 この当時、普通の家庭でギョウザを作るのはあり得ない。

●女性・40代。
 「白い蝶」は「紋白蝶」だとおもうけど、どうして「白い蝶」と書いたのかな。
 必要のない描写が多い。
 物語に山場がない。

●男性・60代。
 町工場か大きな工場なのか、どんな仕事をしているのか。
 当時の守口、土井あたりは地下が安くて、大勢の人が集まってきていた。
 地域色が京阪電車だけしかない。もっと必要。
 守口なら「守口大根」がある。

 チューターからは、
「人物紹介だけでドラマになっていない」との評だった。


 タアイトルは変えたほうがいいとの意見がおおかった。
 独立した作品にするには律子の説明をもう少し付け加える必要がありそうだな。
 
 最後に、欠席した人から手紙が届いたので紹介しますね。


 感想を申し上げます。
 主人公の稔が素直な少年であることが読み出してすぐに分かりました。
 それは小説で描かれてすぐそこにある大人の、それもいかがわしいニオイのする環境があるにもかかわらず、まっすぐに成長していく姿が読み取れました。

 父親がノミを打つ姿、それを見ている母親、稔。
 母親も夫が無言で彫り物をすることに理解はしていたと思います。
 戦争で人には言いたくないようなつらい思いをされたのだとおもいます。
 私には父親が仁王像を彫っていたのは餓死した戦友のためではなく寛之自身心を鎮めるためだと感じました。
 昭和三十六年がどんな時代だったか私は生まれてなかったので知りませんが、少年時代に遊んだことが思い出されました。
 いわゆる子どもの遊び「時間よ止まれ」を私は知りませんでしたが、同じようなことをして遊んでいた記憶があります。

 稔にとっては「時間よ止まれ」はとても大事なものだとも分かりました。
 最初のうちは時代を象徴するアイテムとして使われているのかと思いましたが、主人公や子どもたちはまさにそれらのアイテムで成長していたんだと思いました。
 明美さんもリアルに描かれていると思いました。
 ぜひ会ってみたいと。
 そう明美や、その音音が時代や環境により生き方が変わった人々ですね。
 寛之と文枝の心の結びつき、稔の親思、心が清くなれた作品でした。

 追伸
 父親の座布団を踏まなかったのは何故ですか?
 畏敬の念ですか?

 六月六日 


 彼に会った時、
 父親の座布団を踏まないように育てられたんだと答えた。


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