第48話 ニセ百円札 7

文字数 3,009文字

 稔が好きな『忍者武芸帳 影丸伝』の他に、白土三平は『甲賀武芸帳』『嵐の忍者』『風魔忍風伝』『真田剣流』『風の石丸』『狼小僧』があった。
 自然と溜め息が出た。
「最近。永島慎二の漫画に興味を持っているんだ」
 後ろから華房が声を掛けて来た。
「永島慎二?」
 華房は、本棚から『Gメン』を取り出してページを開いた。
『孤独』というタイトルだった。
 稔はこの漫画は読んでいなかったけど、絵に見覚えがある。5、6冊は読んでいた。
 『 東京トップ社』が出版している『Gメン』をごそっと抜き出した。
『無口な奴』『愛と死の詩』『けんじゅう物語』『殺し屋人別帳』。
 そして、『Gメン』の別冊には、『七本のドスと竜、両腕のないチャンピオン、ろくでなし、右翼少年、丑松の恋、道、悪魔が天使の心を持った時』の作品を見せて、熱っぽく話した。
 さっきの大人のような表情とは別の顔をしている。
「同じ漫画本を買って、ぼくだけの、『永島慎二作品集』を作ろうかと考えているんだ」
「漫画本をバラバラにするのは、もったいないわ」
 稔がいうと、華房はふっと覚めた目をした。
 違う言葉を期待していたみたいだ。
「出版社で直接、漫画本を買うと、オマケとして漫画の原画が付いてくるんだ」
「えっ、ほんまなんか?」
「嘘じゃない。見せてあげようか?」
「見せて欲しいです」
 また、敬語になった。
 華房は、書棚の上から大きな箱を下した。
 フタを開けると、漫画の原画が見えた。一枚、いちまいビニール袋に入れてある。
 それは、一段のコマだったり、半ページや一ページだったりした。
「これは、さいとうたかをの『台風五郎』だよ」
「うわっ! ほんまや」
「ほら、ネームに写植が貼ってあるだろ」
「ネームって……?」
「吹き出しの中にあるセリフだ」
 しゃしょくって何かを訊こうと思っていたら、次々に説明がはじまった。
「洋服のところを、薄く青色で塗ってあるだろ」
「……はい」
「それは、スミアミといって、印刷するとこうなるんだ」
 華房は、原画が印刷してある『台風五郎』のページを広げた。わかるように付箋が貼ってある。
 洋服が灰色に塗りつぶしてあった。
「この『影丸譲也(かげまる・じょうや)』なんか、原画には色がついてないだろ」
「はい」
 今度は『影』のページを開いた。
 そこには、赤、青、黄色を使ったカラーページがあった。
「これは、色を指定するんだ」
「間違えへんのかな」
「えっ?」
「色を塗ってへんと、印刷する人が違う色を使うかもしれへんやろ」
「まあ、間違えることもあるだろうな」
 華房の歯切れが悪くなった。
「こうやって、漫画の原画を手に入ることは嬉しいけど、これって、漫画家の地位が低いってことなんだ」
「……はい」
「たとえば、芥川龍之介の原稿が、単行本を買ったオマケとして付いてくると思う会」
「そんなオマケは、要らんけど……」
「浦山くんが、必要とするかどうかなんて関係ない」
「はい」
「まあ、いいさ」
 華房が、漫画の原画を箱に戻し始めた。
 稔はもっと、じっくりと見たかったけど、それをいうことは出来なくて、漫画本を棚に戻す手伝いをしようとした。
「そのままにしておいていい。順番があるので、ぼくがする」
「……はい」
 華房が全ての漫画本を棚に入れると、満足そうに頷いた。
 稔は華房は漫画を読みたいというより、その本を自分のものにしたい、そんな不思議な感情を持っているような気がした。
「ぼくは絵が全くダメなんだけど、浦山くんは漫画を描いているんだったね」
「漫画じゃなくて、落書きみたいな……」
「ここにある漫画は、貸すのはだめだけど、いつでも見せてあげるよ」
「ありがとうごだいます」
 稔は舌がもつれて、いい間違えてしまった。
「好きな漫画家が載っている本は、新しく買い揃えているんだけど、それ以外の貸本漫画は、いずれ、貸本屋は廃業する店が多くなるから、その時に安く買い占めようと思っているんだ。
 必ず必要とされる時代がくるから、将来の投資としても有望だと考えている」
 稔には意味がわからなかったが、華房はいつもの顔に戻っていた。 
 
 広い玄関に出ると、お手伝いさんが姿を現した。
「あら、あら、由紀夫さん。ずいぶんゆっくりと、お話しをしていたのね」
 華房は何もいわない。まるで、そこにお手伝いさんがいないような態度に見えた。
「近々に、浦山くんの教室へ行くよ。頼みたいことがあるんだ」
「はい」
 稔と雪子がくつを吐き終えて、華房と別れの挨拶をした。
「じゃあ、送ってきますね」
 お手伝いさんが、華房に声を掛けて、一緒に庭へ出た。
「また、来てくださいね。由紀夫さん、お友達がいないから」
「学校では、いっぱいいてはるけど」
「あら、あら、そうなのね」
「はい」
 通用口で見送ってくれたお手伝いさんに、手を振って別れた。


 帰り道は、小百合の家の前も普通に歩けた。
 あの優しいお手伝いさんと、あのたくさんの本に囲まれて大きな家に住んでいる華房のことを羨ましいと思った。
「ゆきこ、偉かったな。よう辛抱してくれたから、助かったわ」
「みのるくんがべんきょうしてはったから、じゃまでけへん」
 雪子には、そう見えたようだ。
 稔も整理しきれないけど、頭の中に新しい知識がいっぱい入って来た実感がある。
「おてつだいさんは、お母さんとちがうの?」
「ええっ、なんでそう思うんや」
「へんやったもん」
「そうかな……」
 稔もなんだか、お手伝いさんではないのかもしれないと思えてきた。
「おつかいにきて、よかったわ」
「ぼくもよかった。ゆきこのお陰やな」
「みのるくん、ひみつをおしえてあげるわ」
「もう、いらんわ。ぼくにひみつないし」
 稔が断ったのに、雪子が話し始めた。
「お姉ちゃんが、あたらしいエンピツとか、よみものをもってかえると、おかあちゃんにおこられてはったんや」
「……お店から、万引きしてきたと思われたんやろな」
「どうせなら、たべもんをぬすんでこいいわはるんや」
「……」
「お姉ちゃんが、どろぼうとちごて、よかったわ」
 雪子なりに心配して、心を痛めていたようだ。
 いまは、晴れやかな顔をしている。
 稔は何か釈然としない気持ちがあるものの、律子の役に立ったことが嬉しかった。
「ゆきこ、帰ったらすぐに百円札を律ちゃんに預けるんやで、無くすと色鉛筆を買えへんようになるからな」
 稔は自分でいって、苦笑いした。
 オモチャの百円札なのに、本物のお金みたいにあつかっている。
「うん、だいじょうぶや」
 雪子はジャンバーのポケットを確かめている。
「これ、みのるくんにあげる」
 雪子がポケットから取り出して、稔に手渡した。
 それは、ミノムシのフクロを縫い合わせて作った小物入れだった。
 前に律子に貰ったことがあったのですぐにわかった。
 所々、色で染めていて手が込んでいる。
「これ、律ちゃんが華房さんに渡すために作ったんと違うんか?」
「わたしてほしいといわれたけど、みのるくんにいじわるするからやめたんや」
「そんなんしたらアカンやろ。それに、ぼくは意地悪されてへん」
「みのるくんがいらんかったら、たっちゃんにあげるわ」
 雪子がポケットに戻そうとした手を押さえた。
「要らんいうてへん。一応、預かるわ」
 律子に悪いことをしているような気がしてならない。
 しかし、今さら引き返して華房に渡すことも出来ない。
 稔は手に持ったミノムシの小物入れをポケットにしまった。


 ニセ百円札 8 に続く。

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