第43話 ニセ百円札 2 

文字数 2,822文字

 二時間目も休み時間になると、一年一組へと走った。
 様子を見にくる人数も少なくなり、華房の姿も無かった。
 雪子は隣の女子と喋っていたので、安心はしたが、何の話をしているのかと気になって、そばにいって聞きたくなるのをやはり我慢した。

 三時間目の休み時間も、一階に行こうとして廊下を急いでいたところを達也に止められた。
「休み時間のたびに、何で廊下を走ってるんや」
 稔は下駄箱でのことを話した。
「ぼくは律っちゃんの分まで、雪子を守らなあかんねん」
 稔が走り去ろうとすると、羽交い絞めにされた。
「みのる、落ち着け!」
「放せ、達つちゃん!」
 声を荒げて振り放そうと身体をねじる。
「そこの二人、廊下でふざけないでよ!」
 動きを止めて、顔を向けると倉井小百合だった。
「通行の邪魔よ」
「うるさいわ。メスゴリラ」
 達也が首を曲げて小百合にいった。
 力が弱まった隙に、稔は抜け出した。
「廊下を走ったら駄目よ!」
 小百合の声に続いて達也の声も追いかけてきた。
「もう四時間目が始まるで」
 階段を降りかけたところで、チャイムが鳴り始めた。
 足を止めた稔が、達也に文句をいうつもりで振り向くと、教室に戻る背中しかなかった。

 教室の掃除が終わるころには、クラスにいくつかのグループが出来かけていたが、稔はどこにも入るつもりはなかった。
「先生、さようなら。みなさん、さようなら」
 声を合せて別れの挨拶を済ませた稔は、一番先に教室を出た。
 まだ廊下に出てこない達也を待たないで、一階に下りた。
 長い廊下に窓の影が模様のように描かれているだけで、人の気配はなかった。雪子とは約束をしていなかったけれど、どこかで待っているはずだ。

 一年一組の下駄箱を覗くと、全て上履きが入っていた。
 朝は気づかなかったが、雪子の上履きは黒ずんていた。律子のお古なのだろう。
 目を移すと他にも新品ではない上履きがあったので、少し安心した。

 雪子は、校庭の真ん中にある大きなユーカリの樹の下に立って、樹を見上げていた。
 大きなランドセルの重さで、いまにも後ろに倒れそうなほど顔を上げている。
 急いで駈け寄って、稔は後ろからランドセルを支えた。
「気いつけんと、後ろに倒れてしまうで」
「みのるくんが、持っててくれるから、だいじょうぶやわ」
 そういって顔をあげたままで、倒れかかってきた。
「こうやって見ると、お空につづいているみたいや」

 稔も雪子の視線を追った。ユーカリの枝の先に見える空は眩しい光を放っている。
「何を見てるんや」
「のぼっていって、すてきなおうじさまとあいたいわ」
「ゆきこも一年生になったんやから、そんなおとぎ話みたいなこといわんほうがええで」
 稔が注意すると、雪子は口の先を尖らせた。
「お姉ちゃんがおしえてくれはったんや」
「律ちゃんが……」
 一瞬、雪子のランドセルを支えている手から力が抜けてしまった。
 雪子が稔の足元で尻もちをついた。
「ゆきこを、もっててくれんとあかん」
「ごめんやで」
 稔は雪子の両脇に手を入れて、ひっ張り上げた。
「いろんなこと、教えてもらったんやな」
「がっこうのうたも、しってるわ」
 そういって歌い始めた。
「えだをぅ ひろげぇるぅ ゆーうかぁりは」
 枝を広げるユーカリは、みんなを見守っていると続く歌詞をすっかり覚えている。 
 稔は、ユーカリの樹を見上げた。
 光が目を射した。

「こんなとこで待っててくれたんか」
 達也が走って来た。
「ゆきこを連れて帰って欲しいんや」
 稔は華房を待って、朝のことを訊きたいのだ。
「あかんねん。新しい友だちと一緒に帰る約束をしたんや。家にテレビがあるヤツやねん」
 そう言い残して走っていった。
 達也は前から家にテレビがある友だちを十人作るといっていた。「毎日テレビを観にいったら嫌がられるけど、たまにやったら喜んでくれはるやろ。そやから、たくさん友だちを作るんや」
 達也が新しいクラスの男子に話しかけている姿を見ていた雪子がいった。
「たっちゃんは、いそがしいな」
「友だち作る名人なんや」
 稔の声には、羨望が混められている。
「そんなん、友だちいうんかな?」
 雪子がつぶやいた。
 その言葉を耳にした稔は、雪子の顔を見た。
 意味もわからず口にしたようだ。

「みのるくん、なんのようじがあるんや?」
 稔がいい淀んでいると、雪子が続けた。
「ゆきこ、ひとりでかえれるわ」
「ちょっと、訊きたいことがあるから、人を待ちたいんや」
「それやったら、ゆきこもいっしょに、まっててあげるわ」
 しばらく待っていると、華房が小百合と一緒に歩いてくる姿を発見した。
 少し後ろに、大宮が付き従っている。
 稔は達也がいなくてよかったと思った。小百合を「メスゴリラ」と呼んでからかうのは、好きだからと分かっていた。
 目が合ったので、稔が歩き出そうとすると、華房のほうが近づいて来た。
「今日は、どうだった?」
 雪子に訊いた。
「へいきやった」
「困ったことがあれば、僕のところにくればいいよ」
「みのるくんがいてるから、だいじょうぶやわ」
 雪子の言葉に、華房は微笑んだ。
「じゃあ、頼んだよ」
 稔の顔を見ていった。
「頼まれなくても、面倒はみてるわ」
 むかついた稔は、乱暴にいった。
「その口の利き方はやめろ。生意気だ」
 後ろにいた大宮が、威圧するように前に出て来た。
「いいんだよ。浦山くんの方が繋がりが深いと思っているんだから」
 華房の言葉がいちいち気に障る。
 しかし、稔は大宮を怖れて口調を変えた。
「律っちゃんと、何で文通してはるのか知りたいんや」
「妹さんのことを心配しているのよ。それって、焼き餅みたいね」
 小百合も知っているようで、からかう口調になっている。
「金田さんは、ぼくたちのグループの仲間だったんだ」
「今も仲間でしょ」
 百合子が訂正すると、華房はうなずいた。
「グループの仲間……。何のグループなんや?」
「それをきみに教えることはできない」
「どうしてなんや」
「ぼくたちは、合議制でメンバーを選んでいるんだ」
「ごうぎせい?」
「浦山くんが入りたいなら、わたしが推薦してあげるわ」
 稔は小百合にもムカついて来た。
「そんなに偉そうにいうんやったら、入れてもらわんでもええわ」
 また乱暴にいってしまった稔は、大宮が出て来たので身構えた。
 華房が大宮を手で制した。
「それは残念だ。ぼくもきみを推薦するつもりだったんだけどな」
「勝手に、ぼくのこと決めんといて欲しいわ」
 稔がきびすを返すと、雪子が追いかけて来た。
「あの人に、お姉ちゃんのことをききたかったんか?」
「そうや」
「みのるくんは、まだお姉ちゃんのことが好きなんか」
「えっ、好きやけど……」
「お姉ちゃんは、いえの中のせわしかでけへん。外のおつかいは、ゆきこがしてるんやで」
 雪子がそう言い残して走っていった。
 赤いランドセルが、上下に弾んで校門を出て行った。
 稔には、雪子が怒っている理由がわからなかった。


 ニセ百円札 3 に続く。
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