29 2013・12・20(金) 最終稿 『無花果』 3   

文字数 3,737文字


 公園にヤス、達也、長沢が集まっていた。Sケンをして遊んでいると、後からきた六年生たちのグループが三角ベースボールを始めたので、隅にあるブランコの方に追いやられた。
「おばけ工場に行こか」稔が言った。
 隣町に潰れたセメント工場がある。砂利の山や、長く伸びたすべり台のようなものが残っていて、恰好の探検場所になっていた。
「隣町にはもの凄く喧嘩が強い六年生がいてるで、つかまったらボコボコにされてしまうわ」
 達也は頭の後ろに両手を組んだ。
「工場にいる野犬に襲われて、三年生が大怪我をしたらしいで」
 長沢が自転車の電池式ブザーを押すと、耳障りな音が鳴り響いた。
「うち、行きたいわ」
 そう言った律子の手を、雪子が「お父ちゃんが梅田に行く言うてたで」と引っ張った。
「追いかけられたら、その足で逃げられるか?」
 稔の言葉に一瞬、みんなが黙った。
「おれらが守ったら、ええやん」
行くことを嫌がっていた達也が、胸を張って腕を組んだ。
「ぼく、ほんまに心配なんや。捕まったら、スカートめくられてしまうで」
「そんなこと、絶対させへん」
 律子が上気した顔で稔を睨んだ。
 視線を外した稔は、半ズボンのポケットに両手を突っ込んで地面を蹴った。
「逃げる時は、ぼくの自転車の後ろに乗せてあげるわ」長沢がブザーを鳴らす。
「隣町のやつらが、お昼を食べに帰ってるあいだに、行ったらええんや」
 ヤスが思いついたように言った。
「早よ、昼ご飯を食べてから行こか」
 稔が言うと、達也が肘でつついた。
「そんなん殺生や。おれの母ちゃん、メリヤス工場の昼休みに帰ってから作るんやで。絶対に遅なるわ」
「お母ちゃんに頼んだるから、家で食べたらええわ」稔が達也の肩に腕を回した。
「ほんまか。ご馳走になるわ」
 ヤスたちは「あとでな」と声を掛け合って散らばっていった。
 律子が雪子を膝に乗せてブランコに座っている。稔は隣のブランコにまたがった。
「律子ちゃんたちも一緒に、家で食べたらええわ」
「うわぁ、うれしいわ」
 膝の上から降りようとした雪子を、律子が抱きかかえた。
「お腹すいてへんやろ」
 身体をよじっていた雪子の動きが止まった。
「まずいご飯も、みんなで食べたら美味しなるわ」
 達也が律子の顔を覗き込んだ。
「失敬やな。家のご飯は、美味しくて舌が溶けてしまうで」
「どんなご馳走か楽しみや。律子ちゃんたちが来なくても、ご飯はぜんぶ食べてしまうで」
「お替りはあかん」
「おれの一杯は、腹いっぱいってことや」
「もう、めちゃくちゃでござりますがなーぁ」
 うつむいていた律子の肩が揺れた。笑ったようだ。
「お腹が減ったら、逃げる元気も出えへんで」
 稔が言った。
 律子の腕が開くと、雪子が「お腹が減ったら、逃げられへんわ」と勢いよく降りた。
 達也は、「姉ちゃんに言ってから、すぐ行くわ」とダッシュして家に帰っていった。

「お昼のお客さん、連れて来たで」
 稔は玄関に飛び込んだ。
「おかえり」
 母親はミシンから顔を上げた。稔の後ろにいる律子と雪子を見ると、「台所から入りぃ」とミシンを止めた。三畳の部屋はシャツで埋まっている。
「たっちゃんも来るからな」
 三人は流しの蛇口に結びつけてある赤い網に入った石鹸で、ごしごしと手を洗った。
「ちりめんじゃこをごはんにまぶして食べたらええわ。おかずにソーセージ切ったる」
 前掛けを結びながら台所に来た母親の脇を通って、三人はちゃぶ台の前に行った。
「時間が無いから、早よしてや」
「そんなに急いで、昼から何して遊ぶんや?」
「秘密や、秘密」
 稔はちゃぶ台を手のひらで叩いた。雪子も「秘密や」と声を合わせた。津子がくすくすと笑うと、稔は更に「秘密や!」と強く叩いた。
「みのる! いちじく取ってあげたらどうや」
 母親が台所から大きな声を出した。
「うち、いちじく、大好きわわわ」
 雪子の口を律子が手で塞いだ。
「律子ちゃん、いちじく食べるか?」
「……うん」小さく肯いた。
 稔は裏庭に出ると、みかん箱を縦に置いた。枝を掴んで飛び乗ると、繁った葉の中に頭を突っ込む。葉から香る強い匂いで一瞬、足元がよろけた。後ろで小さな悲鳴が上がる。顔を横にして見ると、ガラス戸に手を置いた津子と雪子が心配そうに見上げていた。
「一番おいしい、いちじくの実を取ったるわ」
 稔は得意げに声をかけた。
 葉の陰に熟れた実が灯っている。枝を避けて手を伸ばす。ゆっくりとねじった。陽にかざすと輝きが増したように思えた。飛び降りると裸足のままで律子の前に行った。
「これ」稔が差し出した実を、律子は両手で受け取るとしばらく見つめていた。
「おおきに」
 胸のところで、無花果の実を抱えた。

「おれの分、残ってるか」
 玄関に顔を出した達也が、台所をすり抜けて稔の横に座った。
 皿の上に一個だけ残してある無花果の実を見て、「俺、好きやないねん」と言った。
「うち、まだ食べれるわ」
 雪子が伸ばした手を律子が押さえた。
「かんしゃく玉、持ってきたで」
 達也はポケットから、赤や青、黄色の小さな玉を取り出した。
 地面にたたきつけると中の火薬が、大きな音を立ててはじける。
「みのるも、鉄砲を持って行かんとあかんで」
 じゃこご飯を口に入れながら言った。
 稔は廊下の箱の中から銀玉鉄砲を持ってきた。
「うち、怖いのいやや」
 雪子が目を閉じた。
 稔は笑いながら後ろ手で、半ズボンと腰の間に突っ込んだ。プラスチックの滑らかな肌合いが、背筋ををぴんと伸ばす。確かに気持ちを強くさせてくれる。
「ありがとう。おばちゃん」
 律子が食べ終わった茶碗を流しに置いた。
「ええから、早よ遊びに行き」
 優しい声が、稔を見ると急に変わった。「暗くなる前に、帰ってくるんやで!」
「分かってるわ!」
 稔は玄関を出てから、律子に向かって大げさに舌を出した。

「お父ちゃんが、よそ行きの服を着てはる!」
 雪子が駆け出した。
 律子のおっちゃんが、公園のブランコに乗って揺れている。稔の横にいた律子が、隠れるように背後に下がった。おっちゃんは雪子の手を取って、ゆっくり近付いてきた。
「これから、梅田へ行くで」
「うち、行きたない」
 稔のすぐ後ろで律子の強い声がした。
「そんなこと言わんと、一緒に行ってえな」
 不揃いの小さな歯のあいだから息が漏れているような音がした。
 律子の手を腰に感じる。半ズボンに差し込んでいた銀玉鉄砲を抜き取られた。
「何するんや?」
 振り向いた稔に構わずに、律子は左手で銃把の上に出ているプラスチィクの棒を引っ張った。カチャリと音がする。おっちゃんの指を握っていた雪子が、目を固く閉じた。
 律子はおっちゃんに狙いを定めている。探るような眼で律子を見つめているおっちゃんの喉仏が上下に動く。ピシュッと音がした。発射された弾はおっちゃんの胸元に命中した。地面に転がった銀玉が、光を反射する。おっちゃんの顔から表情が消えた。稔は声もなく立ちすくんでいた。辺りを見回したおっちゃんは、稔と目が合うとそらせた。
「雪子、梅田に連れて行ったろか?」
 静かな声で言った。
「ほんま? うち行きたいわ!」
 雪子は、いつの間にか目を開けていた。
「着替えてから行こか」
 おっちゃんの手が、雪子の手首を握った。
「行ったらあかん!」
 律子が叫んだ。
 振り向いた雪子は、あかんべえをした。
 離れていくふたりの背中を律子が下唇を噛みしめて見つめていた。
「みのるくん、ごめんやで」
 銀玉鉄砲を渡されたときに触れた手が冷たい。
 律子は激しく肩を揺らして、ふたりのあとを追いかけていった。
「なんや、律子ちゃんも行きたかったんやな」
 達也が呆れた口調で言った。
 稔は地面に落ちている銀玉を、かかとを押し付けて砕いた。

 翌朝は雨になった。稔は頭が痛いと言って起きなかった。
「たっちゃん来てくれたで。帰ってもらうんか」
 母親の声に、「上がってもらって」と応えた。枕元に来た達也は、しょんぼりとしていて、いつもの元気が無かった。
「どこか、悪いんか?」
 頭痛で寝ている稔が訊いた。
「あんなぁ……律子ちゃんが、大怪我したそうや」
「えっ!」思わず飛び起きた。
「昨日、梅田で車に轢かれたんや」小さな声になった。「わざとぶつかって、おっちゃんがお金 もらうんや。父ちゃんが言うてたわ」
 稔は母親に確かめるために、シャツの山を飛び越えた。
「律子ちゃんのこと、ほんまか!」
「可哀そうにな」
「なんでや!」母親の肩を掴んで揺らす。母親は、ミシンから目を上げなかった。
 胸の辺りが狭くなって、息がうまく出来ない。シャツを踏んで裏庭の廊下まで行った。
 雨の中に無花果の木が、しんとして立っていた。繁っている葉や実がくっきりと見える。
 ガタガタとガラス戸を開けると、みかん箱を持って裏庭に降りた。
「何するんや」達也の声が遠くに聞こえる。
「律子ちゃんに、いちじくの実を食べさせてあげるんや」
 つまさき立ちになって、右手で実をつかむ。震える指に力を入れて引くと、揺れた枝から葉に溜まっていた雫が降りそそいだ。無花果の実を両手で包む。白い液が皮膚を流れる。そこだけ、ひりひりと熱い。雨の音だけが耳に響く。
 みかん箱の上にうずくまった稔は、身体の震えを止めることが出来ないでいた。    


 終わり

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