68 『王将落ち』 初稿 2  

文字数 2,443文字


 校門から少し離れたところに黒と赤色のランドセルが群がっていた。
 その場所には、よく『磁石人形』や『飴細工』、『針金ピストル』などを売りに来ていた。
「今日は何やろな」
 と言って達也が駈けだした。
「たっちゃんは、いつも走っているなぁ」
 律子の言葉に、稔は思わず足元に目をやった。
「違うねん。そんな意味ちゃうからね」
「ごめんな」
「謝らんといて、そんなんいやや」
 言葉に詰まった稔は、何も言えない。気づまりになって、両手をポケットに突っ込んだ。
「カラーヒヨコや。赤と青色のヒヨコがおるわ!」
 達也がこっちを向いて大きな声で叫んだ。
「カラーヒヨコやて、見に行こ」
 稔が誘ったけど、律子は立ち止まったまま動こうとしない。表情が硬くなっている。
「ぼくも、ちょっと見てくるわ」
 気まずい空気から逃れるために走った。

 達也はランドセルを押し退けて割り込んでいく。
 稔は後ろから首を伸ばして覗きこんだ。
 ハンチング帽を被った若い男が、大きな平箱を三つ並べている。その中に羽の色が黄、赤、青のヒヨコたちが、それぞれひしめいてピィピィと鳴いていた。
 黄色いヒヨコは、頬に赤い丸を描いてある『化粧ヒヨコ』だった。
「一羽八十円。二羽で百五十円。三羽やったら、出血大サービスで二百円やで」
 小遣いが一日五円の稔にとっては、欲しくても買えない値段だ。十円でたこ焼きを四個買うことが出来た。
「黄、赤、青は色の三原色や。絵の具を混ぜ合わせて色を作るやろ。例えば赤と青を混ぜて紫。赤と黄色を混ぜて橙色。青と黄色を混ぜて緑。このヒヨコが大きくなって卵を産んだら、何色のヒヨコが出てくるか、それは神様だけが知っているや」
「赤色と青色のつがいを買うわ」
 上級生の男子が言った。周りからどよめきと歓声が起こる。
「おっちゃんもオスかメスかは分からへん。自分で選ぶのも楽しいで」
「お金を取りに、家へ行ってくるわ」
「売り切れたら、残念やけどあきらめてや」
 男の声に追い立てられるように、上級生は人だかりの中を抜け出して走っていく。
 別の上級生が「ぼくもお母ちゃんに頼んでくるわ」と駈けだすと、つられて二、三人がばたばたと立ち去った。
 いつの間にか小百合が横にいた。熱心にヒヨコの箱を覗き込んでいる。

 律子が歩きだしているのに気がついて、稔は慌てて後を追った。
「ぼくもお金があったら、青と赤のつがいを買いたいわ」
「あんなこと言うてるけど、卵を産まへんオスのヒヨコばかり売ってるんや」
「なんでそんなこと知ってるんや」
「お父ちゃんの手伝いで、あんなヒヨコ作ったわ」
 律子の父親は縁日や露店で色々な物を売っている。遠くへ行くことも多くて一カ月近く帰ってこないこともあった。
「染料を水で薄めたバケツにヒヨコを漬けるんや。溺れて死ぬヒヨコもいてたわ。羽が染まったら、カゴに入れてたき火の上に吊るして乾かすんや。みんなひどい目にあって身体が弱っているから、すぐに死んでしまうわ」
 稔は小さなクチバシを開けて鳴いているヒヨコたちをかわいいと思っていた。
 しかし、拷問のような水責めや火責めをされて生き残ったヒヨコたちが、悲鳴を上げているように感じて息苦しくなった。
「そんなん売ったら、あかんのとちゃうか」
「お小遣いを損しても、ご飯は食べられるやろ」
「……」
「みのるくん、内緒にしておいてや。売れへんようになったら、お父ちゃん困りはるさかいに」
 律子はどういう思いでヒヨコの羽を染めていたのだろう。
 稔は動揺している顔を律子に見られたくないので、頷いたまま顔を上げなかった。

 小百合が速足で稔たちを追い越して行く。大事そうに両手で包みこんでいる新聞紙から、ヒヨコの鳴き声が聞こえる。
 達也が小百合を追うように走ってきた。
「メスゴリラ、二百円も持ってたわ。あいつの家、金持ちみたいやな」
 律子の口元が緩んで笑っているように見えた。
「みのる、さっきのことまだ怒ってるんか?」
 達也が心配そうな顔を向けた。
「そんなんと違うわ」
 頭の中でヒヨコの鳴き声が響いている。稔は首を振ってこれ以上考えることをやめた。

 達也と別れて路地に入ると、電柱の陰で野良犬の三日月が寝そべっていた。
 お尻に白い三日月のような模様があるので、そう呼んでいる。たくさんいる野良犬の中でも凶暴な犬だが、今は石を投げつけて追い払いたい気分だ。殺気を感じたのか三日月が顔をあげてこっちを見た。目を合わせないようにして通り過ぎる。

 玄関の半分開けてある引き戸から、ミシンをかける音が漏れていた。
「ただいま」
 稔が玄関に入ると、土間に板を敷いた上で、足踏みミシンをかけている母親の文江が顔を上げた。
「お帰り。お昼すぐに用意するわ」
 笑顔を向けて仕事を続けた。
 ペダルを踏むと右のベルトが回転して針が上下する。シャツにタグを縫い付けると、手の中の握りばさみで切って後ろの三畳の部屋に放り込む。ミシンをかけ終わったシャツが山になっていた。
 台所から入り、ちゃぶ台の置いてある部屋と奥の六畳間を通って廊下に出る。
 ランドセルを放り投げる。すぐに廊下の隅に置いてあるリンゴの木箱から、将棋の箱を取り出した。ダンボール紙に線を引いて作った将棋盤と一緒にちゃぶ台の下に置いた。
 まだミシンかけをしている文江の後ろに回る。
「お腹と背中が引っつきそうや」
「大げさやな」
 手を止めた文江は、ミシンに布を被せて立ち上がった。

 食事を終えると稔はすぐに三畳の部屋で、シャツを一枚ずつきれいにたたみ始めた。
 百枚揃えると一円の小遣いになる。
「みのる、公園にいこ!」
 達也が誘いに来た時に、タンスの前に積み上げたシャツの山は四つしか出来ていなかった。
「あとはお母ちゃんがしとくから、行ってええで」
「ぼくがするから置いといて欲しいわ」
 稔はタンスの小物入れの引き出しから、広告の裏紙を束ねたメモ帳を取って文江に渡した。
「今日は、四円やな」
 文江は重ねてあるシャツを数えて、「正」の文字が並んでいる黄色い紙に線を書き足した。

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