81 『石袋(いしぶくろ)』 初稿 3 

文字数 2,278文字



一階の三年八組の教室の前に人だかりがしている。開いているドアから白い煙が流れ出ていた。
「火起こし名人、待ってたで」
 同級生のひとりが稔に声を掛けてきた。
煙が嫌で廊下に逃げ出していたようだ。
教室に入ると、前方にあるダルマストーブの前に、岡田賢一が突っ立っている。
煙はストーブの隙間や、煙突を窓へ突き出すために直角になっている継ぎ目からもれていた。、
「もう一人の日直は誰や?」
稔の質問にほうぼうから声が上がる。
「まだ来てへんわ」
「あいつ、絶対忘れてるわ」
二人の日直当番が朝早くに登校して、先生が来る前に火を入れて教室を暖めておかないと怒られるのだ。
稔は窓際の席にランドセルを置いて、賢一の傍へ行った。
「ケンちゃんが石炭を一人で運んだんか?」
茶色のセーターを着た賢一のやや上がっている目は、煙を避けるためか閉じられていた。
日直の仕事は多い。石炭置き場に薪(まき)とバケツいっぱいの石炭を取りに行く。二人でバケツの取っ手を持って運んでもフラフラするぐらい重い。それに、ストーブの上に乗せてある金タライと回りに置くバケツに水を入れておかないといけない。
「鉄人28号やから、そんなの朝めし前やろ」
達也が代わりに答えた。
賢一は、六年生と同じぐらい大きくて喋らないので、月刊誌『少年』に連載している『鉄人28号』のロボットがあだ名になっていた。
一年生の時から誰とも口を利いたことがないようだ。
国語の音読は先生も名前を呼ばない。動きが鈍いので、ドッジボールは最初に当てられる。
「ケンちゃん。石炭の入れ過ぎや」
火が燃え上がっていないのに、石炭を詰め過ぎている。
だるまストーブは少し燃やしただけでは、煙が煙突を流れないので部屋じゅうが煙だらけになるのだ。
だから、最初はなるべく煙の出ないものを燃やす。
そうでないと、煙はストーブから押し出されてしまう。
最初に強い火を起こして煙突を暖めると、熱した空気は上に向かい煙突の出口から外に出て行く。
稔は胴の真ん中についている四角い扉から十能を使って、石炭をバケツに戻した。
「ちょっと、火掻き棒を貸して」
賢一の横に立って見上げた。クラスで大きい方の稔よりも頭ひとつ高い。
賢一の手から火掻き棒を取ろうとしたけど離さない。
「じゃぁ、一緒にやろか」
稔は両手で賢一の大きな手を握った。
火掻き棒を突っ込んでかき回す。最初、稔が力を入れないと動かなかった賢一の腕が円を描き出した。
くすぶっていた火が上がってきたので細い薪を入れた。
「お前らボーッと立ってんと、窓を開ける競争するで!」
達也の声がした。
 首を曲げて見ると、それぞれの窓に別れて木枠のネジに手を伸ばしている。
「おれが見張ってるから、ズルしたらあかんで」
「腕が疲れるから、早くしてくれや」
「分かった、分かった」
 ひと呼吸おいて達也の大きな声が教室に響く。
「ヨーイ、ドングリ!」
「何や、それ」
 笑い声を立てながらも、懸命にネジを回している。
「ぼく、一番!」
「おれの方が早かったわ」
 口々に一番だと騒いでいる声が、冷たい風が吹き抜けると煙と共に飛んで行った。
ストーブが勢いよく燃え出すと、顔が火照って熱くなってきた。煙突も暖まったみたいで、継ぎ目から煙が出なくなった。
「ケンちゃん、もう大丈夫や」
 稔の声に、賢一はいつものように反応しない。
 しかし、稔は賢一に感謝をしているので気にならない。嫌いな給食を食べてもらっているのだ。
三年生の担任の先生は厳しくて、給食を食べ終えないと昼休みも遊びに出て行かせてくれないのだ。
一学期の最初の給食のおかずが、稔の大嫌いな鯨のたつた揚げだった。
 野菜や小さな肉片なら、口に入れたまま教室を出て便所で吐き出すことが出来るけど、鯨のたつた揚げは大きくて口の中に隠せない。
 食べ終わった者から校庭に出ていき、十人ほどが残った教室を見回した。
斜め後ろに座っている賢一が、机の上にミルクの入った容器を残していた。
給食係が大きなやかんでアルマイトの容器に注ぐ脱脂粉乳を溶かしたミルクは、クラスの大半が嫌いだと言っているけど、稔は平気だった。
表面に白い膜の張った生ぬるいミルクは、のどの奥に流し込めばいいのだ。
「それ、嫌いなんか」と声をかけたのが始まりだった。
「ぼくが飲んであげるから、おかず食べてくれへんか」
と言って、答えを聞かないで陽気を交換した。しばらくして後ろをみると、稔のおかずはきれいに無くなっていた。その日から嫌いなおかずは賢一に食べてもらっている。その代わりに稔は毎日、脱脂粉乳のミルクを二杯飲んでいた。二学期の終わりには、寒さでカチカチに固まったマーガリンを賢一のためにストーブの熱で溶かすこともしていた。
「毛糸のパンツ、スカートからはみ出てるで」
 後ろで達也が女子をからかい始めた。
「先生が寒がりな女子は、下着の上に毛糸のパンツをはいてきてもええって言わはったもん」
 女子の泣き出しそうな声。
「恥ずかしくないからね」
 友だちが慰めている。
「お前もはいてるんやろ。スカートめくったろか」
「植木くんは、今年もアホやな」
 稔は思わず噴き出して隣を見上げた。
賢一の表情は固まったままだった。
「アホと煙は高いとこが好きやろ。植木くんも煙と一緒に、煙突から出ていったらええわ」
「おれが教室から消えたら、お前が一番のアホになるけど、それでもええんか」
「先生が来た!」
「みんな席に戻れ!」
 ばたばたと騒がしくなった教室が静かになる。
「ケンちゃん、席に座ろか」
 声を掛けたけど、賢一は動こうとしない。
稔は水が張ってあるバケツに、足を引っかけないように気を付けてまたいだ。
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