第8話 石袋(いしぶくろ) 2

文字数 4,889文字



 一階の三年十二組の教室の前に、人だかりがしている。
 開いているドアから、白い煙が流れ出ていた。
「火起こし名人、待ってたで」
 同級生の一人が、稔に声をかけてきた。
 煙が嫌で廊下に逃げ出していたようだ。
 教室に入ると、前方にあるダルマストーブの前に、岡田賢一が突っ立っている。煙はストーブの煙突を窓へ突き出すために、直角になっている継ぎ目からもれていた。
「もう一人の日直は誰や?」
 稔の質問に、方々から声が上がる。
「まだ来てへんわ」
「あいつ、絶対忘れてるわ」
 二人の日直当番の役目は、朝早くに登校して先生が来る前に火を入れて教室を暖めておくことだ。
 稔は窓際の席にランドセルを置いて、賢一の傍へ行った。
「ケンちゃんが石炭を一人で運んだんか?」
 茶色のセーターを着た賢一のやや上がっている目は、煙を避けるためか閉じられていた。

 日直の仕事は多い。まず石炭置き場に薪とバケツいっぱいの石炭を取りに行くことから始まる。二人でバケツの取っ手を持って運んでもフラフラするぐらい重い。
 それに、ストーブの上に乗せてある金ダライと回りに置くバケツに水を入れておかないといけない。
「鉄人28号やから、そんなの朝めし前や」
 達也が代わりに答えた。
 賢一は、六年生と同じぐらい大きくて喋らないので、漫画の月刊誌『少年』に連載している『鉄人28号』のロボットがあだ名になっていた。
 一年生の時から誰とも口を利いたことがないようだ。
  国語の音読は先生も名前を呼ばない。動きが鈍いので、ドッジボールは最初に当てられる。
「ケンちゃん。石炭の入れ過ぎや」
 火が燃え上がっていないのに、石炭を詰め過ぎている。

 だるまストーブは少し燃やしただけでは、煙が煙突を流れないので部屋じゅうが煙だらけになるのだ。だから、最初はなるべく煙の出ないものを燃やす。そうでないと、煙はストーブから押し出されてしまう。最初に強い火を起こして煙突を暖めると、熱した空気は上に向かい煙突の出口から外に出て行く。
「お前らボーッと立ってんと、窓を開ける競争するで!」
 後ろで達也の声がした。
 首を曲げて見ると、それぞれの窓に別れて木枠の鍵ネジに手を伸ばしている。
「おれが見張ってるから、ズルしたらあかんで」
「腕が疲れるから、早くしてくれや」
「わかった、わかった」
 ひと呼吸おいて達也の大きな声が教室に響く。
「ヨーイ、ドングリ!」
「何や、それ」
 笑い声を立てながらも、懸命にネジを回している。
「ぼく、一番!」
「おれの方が早かったわ」
 口々に一番だと騒いでいる声が、冷たい風が吹き抜けると煙と共に飛んで行った。

 稔はストーブの真ん中についている四角い扉から十能を使って、石炭をバケツに戻した。
「ちょっと、火掻き棒を貸して」
 賢一の横に立って見上げた。
 クラスで大きい方の稔よりも頭ひとつ高い。賢一の手から、火掻き棒を取ろうとしたのだが離さない。
「じゃぁ、一緒にやろか」
 稔は両手で賢一の大きな手を握った。
 火掻き棒を突っ込んでかき回す。最初、稔が力を入れないと動かなかった賢一の腕が円を描き出した。
 くすぶっていた火が上がってきたので、細い薪を入れる。ストーブが勢いよく燃え出すと、顔が火照って熱くなってきた。煙突も暖まったみたいで、継ぎ目から煙が出なくなった。

「ケンちゃん、もうだいじょうぶや」
 稔の声に、賢一はいつものように反応しない。しかし、稔は賢一に感謝をしているので気にならない。嫌いな給食を食べてもらっているのだ。
 三年十二組の担任をしている福田先生は厳しくて、給食を食べ終えないと昼休みも遊びに出て行かせてくれないのだった。
 一学期の最初の給食のおかずが、稔の大嫌いな鯨(くじら)のたつた揚げだった。
 野菜や小さな肉片なら口に入れたまま教室を出て、便所で吐き出すことが出来るのだが、鯨の  
たつた揚げは大きくて口の中に隠せない。
 食べ終わった者から校庭に出ていき、五人ほどが残った教室を見回した。
 斜め後ろに座っている賢一が、机の上にミルクの入った容器を残していた。

 給食係が大きなやかんでアルマイトの容器に注ぐ脱脂粉乳を溶かしたミルクは、クラスの大半が嫌いだといっているけれど、稔は平気だった。
 表面に白い膜の張った生ぬるいミルクは、のどの奥に流し込めばいいのだ。
「それ、嫌いなんか」と声をかけたのが始まりだった。
「ぼくが飲んであげるから、おかず食べてくれへんか?」
 そういって、答えを聞かないで容器を交換した。
 しばらくして後ろを見ると、稔のおかずはきれいに無くなっていた。その日から嫌いなおかずは賢一に食べてもらっている。その代わりに稔は毎日、脱脂粉乳のミルクを二杯飲んでいた。
 二学期の終わりには、寒さでカチカチに固まったマーガリンを賢一のためにストーブの熱で溶かすこともしていた。

「毛糸のパンツ、スカートからはみ出てるで」
 後ろで達也が女子をからかい始めた。
「先生が、寒がりな女子は下着の上に毛糸のパンツをはいてきてもええっていわはったもん」
 女子の泣きそうな声。
「恥ずかしくないからね」
 女子の友だちが慰めている。
「お前もはいてるんやろ。スカートめくったろか」
「達也くんは、今年もアホやな」
 稔は思わず噴き出して隣を見上げた。
 賢一も笑うかと思ったが、表情は固まったままだった。
「アホと煙は高いとこが好きやろ。達也くんも煙と一緒に、煙突から出ていったらええねん」
「おれが教室から消えたら、お前が一番のアホになるけど、それでもええんか」
 達也がが言い返すと女子は、ぷいっと横を向いた。

「先生が来た!」
「みんな席に戻れ!」
 ばたばたと騒がしくなった教室が静かになる。
「ケンちゃん、席に座ろか」
 声をかけたが、賢一は動こうとしない。
 稔は水が張ってあるバケツに、足を引っかけないように気を付けてまたいだ。
 
 教室に入って来た福田先生は、ストーブの前に立っている賢一を見ても注意しなかった。
「何だか寒いな。後ろの生徒は教室が暖かくなるまで、ジャンパーを着てもいいぞ」
席 は身長順なので、稔は後ろから二番目の窓際だった。
 
 木枠の窓がカタカタと鳴って、隙間から冷たい風が入ってくる。さっき、開けた時にしっかりとネジを締めていなかったようだ。
 稔は立ち上がってジャンパーを着てから、窓のネジをきつく締めた。座って手のひらを太股と椅子のあいだに挟んだ。

「今日は君たちに、残念なお知らせがあります」
 そういうと先生は、賢一の横に並んだ。
 そして、稔たちに尻を見せている賢一の肩を掴んで身体の向きを変えた。 
 賢一の顔が赤くなっている。ストーブの熱のためか、恥ずかしいからかはわからない。

「岡田くんが転校することになった」
 教室にどよめきが起こる。稔も「えっ!」と驚きを口にした。
「岡田くんは、どうしても日直当番をしてから、この学級を去るといったそうだ。責任感の強いということだと先生は感心した」
 稔は賢一が、家の中では喋ると聞いて驚いた。
「みんな、岡田くんを拍手で見送ってあげなさい」
 パラパラと拍手。
「先生、岡田はもう帰ってええんか?」
「今日、姫路へ行くそうだ」
「そんなのずるい!」
「おれ見送るから、帰ってもええやろ」
 もう一人の日直は風邪をひいて休みだと知ると、さらに騒ぎが広がった。
「日直がおらんようになったら、誰が火の番をするんや」
 日直は火を見張っていて、火力が弱くなったら石炭を入れなければいけない。休み時間も外で遊べない。ストーブの上の金ダライに水を足したり、底にたまった灰を取り出したりしないといけない。最後に火の後始末をして、ストーブの回りを掃除してから帰るのだ。

「ぼく、日直やります」
 稔は手を挙げた。
 賢一には、嫌いなおかずを食べてもらった借りがある。これぐらいのことは、しないと気が済まない。そんな気持ちだった。
「しょうないなぁ。みのるに付き合って、おれもやるわ」
 達也も名乗り出た。

 賢一の顔が赤くなっている。右腕がゆっくり動いて、セーターの袖で顔を拭った。しかし、真一文字に閉じている口は開かなかった。
 稔は賢一の袖がテカテカになっていないので、新しいセーターだと気付いた。
 賢一が教室を出て行く背中に、稔は小さく手を振った。

 ストーブは真っ赤に焼けて、教室はほどよく暖まってきた。上に置いてある金ダライから、もうもうと湯気が上がっている。
 チャイムが鳴って「ストーブの回りで騒ぐなよ。子どもは風の子、運動場で遊べ」といって福田先生が出て行った。
 運動場に飛び出すのはストーブに近い席の子どもで、離れた席の子どもはストーブの回りに群がって来る。火力が上がるとストーブに近い席は熱くてたまらないが、後ろは満足には暖まらないのでいつも寒い。
 椅子を持って達也がストーブを取り囲んでいる子どもをかき分けた。
「おれとみのるは日直やから、ストーブの前で火の番をせなあかんねん」
 そういって、尻を突き出して温めている子の横に椅子を置いて座った。
「みのるも来い!」
 達也に呼ばれて、ぼんやりと賢一の席を見ていた稔は立ち上がった。
「そこ、通したってんか」
 達也の声で、二重に取り囲んでいる同級生たちのあいだが少し開いた。稔はそこを通ってストーブの前まで行った。
「みのる、元気ないな。村木のことが心配なんか?」
「違うわ。明日から、ケンちゃんが居ないんやなって思ってたんや」
「何や、みのる寂しいんか」
 それも違う。給食を食べてもらえた賢一がいなくなって困っているだけだった。
「景気づけに、今年の一発目をやったるわ」
 達也が右足を延ばして、上履きの底をストーブにこすりつける。
「いち」「にい」「さん」と周りから声が上がった。ゴムの焼けるにおいが広がる。煙が出ても達也は「はち」まで我慢してから足を戻した。
「達ちゃんの上履き、穴があいてしまうで」
 達也がクツの裏を見せた。黒ずんでいる底のゴムの凹凸が、ほとんどツルツルになっていた。

 ストーブの火の後始末をしていたので、帰りはみんなよりずいぶん遅くなった。
 寺の横の道は霜柱がとけてぬかるんでいた。ズッククツはすぐに泥だらけになった。
 石塔の角や大きな石のあちこちに、泥がなすりつけられている。

「日直したのは、村木が待ち伏せしてると思ったからやろ」
 達也に意外なことをいわれて稔はびっくりした。
「そんなこと考えてへんわ」
「石袋をおれにくれたらええ。おれが村木に渡すわ。みのるは知らん振りしといたらええやん」
 稔は石袋を雅史に渡そうと思っているといった。 
 達也はしばらく考えてから「雅やんは、貰いにくいやろな。おれが村木に渡したるわ」と更にいった。
「やっぱり嫌や」
「わかった。そしたら鉄人28号ゲームをしようか」
「今か?」
「ええから、ええから」 
 達也が「じゃんけんや」といって素早くパーを出した。遅れて出したのに稔はグーだった。
「おれが操縦するからな」
 ジャンケンで負けた方が三回、いう通りに動かないといけない。
「ちょっと左を向いて五歩進め!」
 達也の命令は、ひどくぬかるんでいる所を歩けということだ。
 両手を肩まであげた稔は、一歩踏み出すごとに「ギーコ」といいながらぬかるみの中に入った。
 クツが半分、泥の中に沈む。
「戻ってきてええぞ」
 達也の前まで行くのに、クツがずいぶん重くなった。
「次は、ポケットから石袋を出せ」
 稔は達也の狙いがわかったので、身体の動きを止めた。
「故障したわ」
「そんなに嫌なんか」
「嫌なもんは嫌や」
 稔は寺の石段の角に、クツの泥をこすりつけて落とした。
「しょうがないなあ。おれが一緒に居てやるわ」
「そんなこといわんでも、いつも一緒に遊んでるやん」
 稔は冗談で返した。
「おれは足が速いからだいじょうぶやけど、みのるが捕まってもよう助けんわ」
「ぼくも死に物狂いで走るから、達ちゃんに負けへんわ」
「そしたら、逃げ足の競争やな」
 達也が真剣な顔をしていったので稔は笑った。
 ぐちゃぐちゃにならない道に出ると嬉しくなった。

石袋(いしぶくろ) 3 に続く。


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