第56話 ニセ百円札 15

文字数 3,165文字


 稔が増井の家の引き戸をを叩くと、日焼けした増井が出て来た。
「たかし兄ちゃん、会いたかったんや」
 稔は増井の顔を見ると、すぐにいった。
「そんなにプレゼントが気にいったんか」
 白い歯を見せた増井は、右手を後ろに回した。
 また、握りっ屁をするつもりなのだ。
「オナラはもう要らんわ」
 後ろに一歩下がった稔は、「相談したいことが、あるんや」といった。
「長旅で疲れてるんや。次にしてくれるか」
「えっ、ずっと待ってたんやで」
 稔は自分でも情けない声になったと思った。
 増井の後ろの引き戸が少し開いた。
「話ぐらい、聞いてあげや」
 引き戸の隙間から、増井の母親の小さな声が聞こえた。
「はい、はい、はい」
 くっくっくと笑った増井は、「中で聞いたるわ」と引き戸を開けた。
 声が聴こえたはずなのに、増井の母親の姿がなかった。
「お邪魔します」
 稔は、増井の母親に届くように大きな声でいった。

 家の造りは稔の家と同じで、玄関に入ると正面が三畳間、右側は台所となっている。
「疲れてるから、横になって聞かせてもらうわ」
 三畳間で増井は横たわった。
 稔は華房紙幣のことを話してから、交換会のことに移ったところで、増井が手で止めた。
「みのるが訊きたいことの一番は何や?」
 増井にいわれて、稔は少し考えた。
「華房さんの作った札は、ニセ札なんか?」
 横になっていた増井が腹ばいになった。
「お金の百円札や十円玉を当たり前のように使ってるけど、ただの紙と金属の丸い玉や」
 稔は華房がいう通りだったと思った。
「そやから、ある決まった場所にだけ通用する金券みたいなものができるんや」
 増井は「軍票(ぐんぴょう)」について説明を始めて、軍隊がお金の代用として使用する金券みたいなものだといった。
「ぼくの好きな松本清張さんが『西郷札』という小説を書いてるんやけど、明治に西南戦争が起きたときに、薩摩の西郷軍が作ったんや。実物は紙と違って、布で作ったらしいけどな」
 増井は『砂の器』を読むために、「ジャイアンツは嫌い火傷読売新聞の夕刊を配達してもらっている」と、余計なことまでいった。
 九州の筑豊でも、ほとんどの炭鉱で発行されて、使われていて、それは「炭鉱札」と呼ばれていたそうだ。
 稔は華房紙幣と同じようなことが、あったことがわかったので安心した。
「その子が、そこまでしたいんやったら、ひとつの王国やな」
 稔が訊き返そうとすると、増井はいびきをかいていた。
 もっと多くのことを話したいのにと思って、起こそうとしたが、「利用している」といった華房の顔が浮かんで、手を止めた。
「なんや、寝て霜単価」
 ガラス戸が開いて、増井の母親が姿を見せた。
「ごめんやで、みのるちゃん。ずいぶん帰ってなかったんで、この子がいろんなとこ、案内してくれたんや」
 そういって、増井にそっと毛布をかけた。
「久しぶりやから、おばちゃんの前の顔を忘れてしもたわ」
 稔は増井の母親の顔をまじまじと見た。増井と同じように、顔が日に焼けている。
「みのるちゃんは、大きくなったな」
「おばちゃんが知ってるのは、小学校へ入る前のぼくやろ」
「そんなことない。毎日見てるわ」
「えっ、玄関の隙間からか、気持ち悪いな。表に出てきたらええのに」
「……そうやな」
「お母ちゃんがおばちゃんの声を聴いたら、ええことあるっていうてはるねん」
「文江さんによろしゅういうといて、毎日ミシンの音を聞いて、元気をもらってるんや」
「そんなん、おばちゃんにいいに来て欲しいわ」
「ぼちぼち、そうさせてもらおかなと考えてるんやけどな……」
「ぼく、おばちゃんといっぱい喋ったから、きっとええことあるわ」
「そうか、みのるちゃんの役に立つんなら嬉しいわ」
「おおきに」
「こっちこそ、ありがとうね」
 稔が増井の家を出たときは、不安がすっかり消えていた。

 月曜日の午後から、講堂にあつまって。生徒会選挙の演説が行われた。
「僕が副会長になって、完璧に倉井さんをサポートすることを約束します」
 副会長に立候補した華房が、演説の最後にいった。
 次が稔の番だったので、舞台袖できいていたのだが、副委員長になることが決まっているみたいにいっている。
 華房は自分で「人気がない」といっていのに、頭がいいのに嫌われている理由が、こんなところにあることを気づいていないことが不思議だった。
 稔が演台(えんだい)に立った。
「五年生の倉井小百合さんを、生徒会会長に推薦します」
 稔はそういってから、講堂を見渡した。
 昨夜、文江から全員に向かって喋るのではなくて、一人にだけ話せばいいと教えてもらったのだ。達也と目があったので、そのまま続けた。
「ぼくが給食のおかずがきらいで、居残りをさせられていることを知ってる人もいると思います」
 稔が言葉を切ると、達也が笑いながら三回うなづいた。
「四年生の時に同級生だった倉井さんはその時は、風紀委員でした。ホームルームで、倉井さんの提案で、ぼくがどうしたらおかずを食べられるようになるかの話合いをしました。
 ぼくにとっては、大迷惑でした」
 会場に笑い声が上がった。
「でも、ぼくに嫌われても、倉井さんは、ぼくのために提案してくれたのだと思います。その時は、大嫌いでした」
 ここでも笑い声が広がった。
「でも今は、そんなに嫌いではありません。
 講堂に大爆笑が起こった。
「頭がよくて、音楽を習っていて、実行力があるし、そんな倉井小百合さんを生徒会会長に推薦します」
 最後に稔は、達也が教えてくれたことをいった。
 拍手がしばらく、鳴りやまなかった。
 六年生の女子が、もう一人の会長候補の応援演説を始めたが、ざわめきは収まらなかった。

「五年四組の倉井小百合です」
 小百合の表情は緊張しているみたいだが、堂々としていた。
「学校には、女の先生もたくさんいらっしゃるのに、校長先生はほとんど男の人だというのは、おかしいと思います」
 子どもたちよりも先に、教職員席からざわめきが上がった。
「わたしが思っていることは、女子だけではなくて、男子にも、同じように考えている人がいると思っています。でも、思っているだけでは何も変わりません。少しでもおかしいと思っているのなら、まず、この選挙でわたしに投票をしてください」
 拍手はあったが、みんなは戸惑っているみたいで、隣や後ろの友だち同士で話している。
 次に演説した六年生の男子は、会長になってから実行したいことをいったが、誰も聞いていないようだった。

 選挙が終わったので、校内放送に従って一年生から外に出た。
 しかし、いっせいに移動しているために廊下がぎゅうぎゅう詰めになっている。
 稔がゆっくりと歩いていると、達也が後ろから抱き付いて来た。
「みのるは、倉井のいうことをしってたんか?」
「全然、知らんかったわ」
「どえらいこと考えてるんやな」
「ほんま、びっくりしたわ」
 まわりの子どもたちも二人の話に聞き耳を立てて
いるみたいだ。
「先生に怒られるやろな」
 誰かの声が聴こえた。
「倉井さん、大丈夫かな」
「うちの担任は手を叩いてたわ。みのるのほうが心配や」
「えっ、ぼくが怒られるんか?」
「当たり前や。みのるも仲間やと思われてるで」
「……」
 東野先生には、この前の華房の件で、すでに仲間だと思われているだろう。げんこつをもらうだけで済めばいいのにと稔は思った。
「でも、倉井だけが会長になったら大変やろな」
 達也は、明日発表される選挙の結果で、華房が選ばれないと思っているみたいだ。
「浦山くんが、副会長に立候補したらよかったのに。絶対、みんなが選んでくれたわ」
 女子が声をかけてきた。
「そうや、浦山がなったらええねん」
 男子の声も耳に届く。
 稔は面白がって、無責任に投げかけてくる言葉を黙って聞いていた。


 ニセ百円札 16 に続く。


ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み