142 書き直した「空の匂い」を
文字数 2,021文字
*
書き直した「空の匂い」を阿礼さんに読んでもらった。
「空の匂い」 タイトル 素敵です!
しかし、おばあちゃんが教えてくれたから、椿なのでしょうが、椿と空がつながらないです。
最後に空の匂いを探す という場面がありますが、空の匂いではない方が、この小説の題にはいいのかもしれません。(もっと重いタイトル)
空の匂いなら、コスモスなど、もっとパステルカラーの花の方が空に近い感じがしますが。(赤い椿の花言葉は控えめな愛 とありました)
パパがいなくなった家庭で頑張る僕とシュンとママ、
パパとママが別居中のひとりの少女と出会い、椿から空の匂いを教えてもらう。
僕が寂しさをかかえながら、苛立ちもかかえながら、なんとか踏みとどまろうとしている姿が印象に残ります。
少女が両親と去った後、シュンがママに迎えにきてほしいとぐずり、僕は早く大人になりたいと思う。
読んだ後にずっしりしたものが残りました。
六年生の僕、二年生のシュン、それぞれのしぐさや動作がその年齢らしくて、いいなと思います。
シュンが鉄棒にぶら下がっているところ、すきです。
同じ境遇にある兄弟と少女、出会った後に、状況はなにも変わらないけれど、同じ同士としての連帯感のようなものが余韻として感じられるともっといいのではないか?
たとえば
P.4.下段 僕が いいことを教えてあげるよ と確信を持っていうのではなく、自分も確信を持てないけれど、大きくなるまで待つしかないと、少女にいいながら、自分にも言い聞かせる方がよいのではないか?
そして別れた後も、大きくなるまで待つことをそれぞれ力にして、もう会うことはないとしても、お互いになにか連帯感を持ちながら、つらい中にも、その出会いが力を持つものになるのではないか?
小説の中での出会いを考えると、ここでは、それにより、シュンと僕の寂しさが募るばかりに感じられますが、やっぱり出会うことでその出会い、なんらかの力を持ってほしいと思うのは、私が楽観的に物事を見たいからかもしれません。
探しにいくのをただのテニスボールではなく、パパからプレゼントされた思い出のボールにするのはどうでしょう?
ただのテニスボールだと、わざわざ夜にそこまでして探すかという疑問がわきます。
また最後で ボールは固くて確かだったというところがありますが、パパとのボールにする方が、その思いも強調されるのでは?
公園での少女との出会いや椿をとるところが、真っ暗闇なのか、P.1下段のように夕暮れなのか、がなんとなく統一されていないように感じます。
きっと夜の墓地をイメージして書いておられると思うのですが、
P.3下段の少女がシュンから花を受け取る場面でも、(懐中電灯を脇にはさんで両手で花を受けている?)、椿の木に電灯の光があたっているなら、手元は暗くてみえないのではないか?
など不要なことに疑問を持ちます。
月の光を受けるようだ というのは美しい光景なのですが、月の光だけで、その情景が見えるでしょうか?
疑問* P.3上段 少女が墓石の間から背をのばして、ボールを見つけてくれる。
少女は電灯も持たずに、ひとりで墓地に入っていて こわくないのでしょうか?
おばあちゃんのお墓だから、こわくない?
でもやっぱりこわいのでは?
P.1 上段 放棄 放棄だと意図的に役割を果たさない意味になるので、ここではうっかりしてお迎えが遅れたようなので、別の言葉の方がいいかも?
下段 メガネがあわない これは近視が進んで遠くが見にくくなった という意味でしょうか? なにかもっと重い病気を考えたりするので、これはないほうがいいかもしれません。
P.2下段 びっくりさせるな! という場面、僕より学年が下のようと気づいたのなら、もう少しやさしい口調のほうがいいのでは?
椿の花でなにするの? より、椿の花をどうするの? の方が自然。
P.3 上段 空の匂い と聞いて、雲って とすぐには返答できない。
空で返答する、あるいは空 と言ってから 雲にうつる方が自然
P.4 試そうなんてことはしないほうがいい。
いろいろな背景を浮かばせる言葉と思います。☆
P.5 上段 犬とおじさん、おばさんの場面は必要ないかもしれません。
よけいややこしくなる。
下段 少女のパパからの電話に、僕がわざわざ出る必要があるか?
本人が出る方が自然。僕が少女のパパをもともと知っているのでなければ、よほどの理由がなければパパを心配させるようなことはしないのでは?
P.4で待つしかない ことを共有できれば、少女が自分で電話に出る
(これは私の勝手な願望です)
下段 夜中に冷蔵庫を開けたみたいに明るくなる。という比喩。
これはとても明るい場面を想像してしまうので、少女の両親が迎えにくることを仕方のない重いことと思っているのなら、もっと重い比喩が必要だと思います。
以上です。
書き直した「空の匂い」を阿礼さんに読んでもらった。
「空の匂い」 タイトル 素敵です!
しかし、おばあちゃんが教えてくれたから、椿なのでしょうが、椿と空がつながらないです。
最後に空の匂いを探す という場面がありますが、空の匂いではない方が、この小説の題にはいいのかもしれません。(もっと重いタイトル)
空の匂いなら、コスモスなど、もっとパステルカラーの花の方が空に近い感じがしますが。(赤い椿の花言葉は控えめな愛 とありました)
パパがいなくなった家庭で頑張る僕とシュンとママ、
パパとママが別居中のひとりの少女と出会い、椿から空の匂いを教えてもらう。
僕が寂しさをかかえながら、苛立ちもかかえながら、なんとか踏みとどまろうとしている姿が印象に残ります。
少女が両親と去った後、シュンがママに迎えにきてほしいとぐずり、僕は早く大人になりたいと思う。
読んだ後にずっしりしたものが残りました。
六年生の僕、二年生のシュン、それぞれのしぐさや動作がその年齢らしくて、いいなと思います。
シュンが鉄棒にぶら下がっているところ、すきです。
同じ境遇にある兄弟と少女、出会った後に、状況はなにも変わらないけれど、同じ同士としての連帯感のようなものが余韻として感じられるともっといいのではないか?
たとえば
P.4.下段 僕が いいことを教えてあげるよ と確信を持っていうのではなく、自分も確信を持てないけれど、大きくなるまで待つしかないと、少女にいいながら、自分にも言い聞かせる方がよいのではないか?
そして別れた後も、大きくなるまで待つことをそれぞれ力にして、もう会うことはないとしても、お互いになにか連帯感を持ちながら、つらい中にも、その出会いが力を持つものになるのではないか?
小説の中での出会いを考えると、ここでは、それにより、シュンと僕の寂しさが募るばかりに感じられますが、やっぱり出会うことでその出会い、なんらかの力を持ってほしいと思うのは、私が楽観的に物事を見たいからかもしれません。
探しにいくのをただのテニスボールではなく、パパからプレゼントされた思い出のボールにするのはどうでしょう?
ただのテニスボールだと、わざわざ夜にそこまでして探すかという疑問がわきます。
また最後で ボールは固くて確かだったというところがありますが、パパとのボールにする方が、その思いも強調されるのでは?
公園での少女との出会いや椿をとるところが、真っ暗闇なのか、P.1下段のように夕暮れなのか、がなんとなく統一されていないように感じます。
きっと夜の墓地をイメージして書いておられると思うのですが、
P.3下段の少女がシュンから花を受け取る場面でも、(懐中電灯を脇にはさんで両手で花を受けている?)、椿の木に電灯の光があたっているなら、手元は暗くてみえないのではないか?
など不要なことに疑問を持ちます。
月の光を受けるようだ というのは美しい光景なのですが、月の光だけで、その情景が見えるでしょうか?
疑問* P.3上段 少女が墓石の間から背をのばして、ボールを見つけてくれる。
少女は電灯も持たずに、ひとりで墓地に入っていて こわくないのでしょうか?
おばあちゃんのお墓だから、こわくない?
でもやっぱりこわいのでは?
P.1 上段 放棄 放棄だと意図的に役割を果たさない意味になるので、ここではうっかりしてお迎えが遅れたようなので、別の言葉の方がいいかも?
下段 メガネがあわない これは近視が進んで遠くが見にくくなった という意味でしょうか? なにかもっと重い病気を考えたりするので、これはないほうがいいかもしれません。
P.2下段 びっくりさせるな! という場面、僕より学年が下のようと気づいたのなら、もう少しやさしい口調のほうがいいのでは?
椿の花でなにするの? より、椿の花をどうするの? の方が自然。
P.3 上段 空の匂い と聞いて、雲って とすぐには返答できない。
空で返答する、あるいは空 と言ってから 雲にうつる方が自然
P.4 試そうなんてことはしないほうがいい。
いろいろな背景を浮かばせる言葉と思います。☆
P.5 上段 犬とおじさん、おばさんの場面は必要ないかもしれません。
よけいややこしくなる。
下段 少女のパパからの電話に、僕がわざわざ出る必要があるか?
本人が出る方が自然。僕が少女のパパをもともと知っているのでなければ、よほどの理由がなければパパを心配させるようなことはしないのでは?
P.4で待つしかない ことを共有できれば、少女が自分で電話に出る
(これは私の勝手な願望です)
下段 夜中に冷蔵庫を開けたみたいに明るくなる。という比喩。
これはとても明るい場面を想像してしまうので、少女の両親が迎えにくることを仕方のない重いことと思っているのなら、もっと重い比喩が必要だと思います。
以上です。