04 2013・10・09(水) 初稿 『無花果』 3 

文字数 4,101文字


 公園に達也はすでに来ていて、ヤスたちと「Sケン」を始めようとしていた。横に行くと、肘で小突いてきたので肩をぶつけた。
 二組に分かれて遊ぶSケンは、地面に足で大きなSの字と、周辺に四、五個の島を書く。線の開いている所からしか、出入りが出来ない。S字の中と島では両足がつけるけど、出た時はケンケンでなければいけない。

 S字の中にある宝を踏めば勝ちになる。
 敵と出会うと、取っ組み合って、両足を付けたほうが負けだ。相手に触れることが出来るのは 上半身だけと決まっていた。
 負けた者は勝敗のつくまで、捕虜になって敵の陣地に閉じ込められる。
 出て来た敵の強さを見て、逃げるか追いかけるかを決める。強い敵には二、三人で相手をする。学校にいっていない雪子は、ごまめルールで外でも両足を使えることになっていた。
 土ぼこりが目に入ると、「たんま」と宣言してしゃがみ込む。目からゴミを取るまで中断する特別ルールもある。メガネを掛けている稔は、ゴミが入ることは少ないけど、負けそうになった時に「たんま」を使うこともあった。

 目の大きな雪子は、よくゴミが入ってしゃがみ込んだ。
 もともと、戦力外なので誰からも構われない。涙といっしょに流し出すと、立ち上がってみんなの後ろを追いかける。
 長いあいだ座り込んでいると、稔が「たんま」と言って様子を見に行く。まぶたの裏に入り込んで取れない時は律子を呼ぶ。
 下まぶたのゴミはあかんべえをさせて、上まぶたに入ってしまったゴミは、親指と人差し指でまぶたをつまんでひっくり返す。それから、律子は伸ばした舌で、ゴミを舐めて取る。
Sケンが終わると稔は、ヤスに「昼から山に行けへんか」と誘った。
 ヤスのいちばん下の弟に、昨日はどこに行ったのかを聞いていた。お父さんが厳しくて、夏休みの宿題を全て終わらせる為に、外へ出られなかったということだった。
「隣町にはもの凄く喧嘩が強い六年生がいてるで、つかまったらボコボコにされたしまうわ。それに、人さらいもいるしな」
 達也は頭の後ろに両手を組んだ。
「三年生が野犬に襲われて、大怪我をしたらしいで」長沢がチリンチリンとベルを鳴らした。
「うち、山へ行きたいわ」
 そう言った律子の手を、雪子が「お父ちゃんが梅田に行く言うてたで」と引っ張った。
「女が行くんやったら、男は守らなあかんな」
 達也が腕を組んで仁王立ちをした。
「その足で、遠いとこまで歩けるか?」
 稔の言葉に会話が止まった。
「あかんかったら、戻ったらええやん」
 達也が稔の肩に腕を回した。
「ぼく、ほんまに行きたいんや。歩けへんから途中で引き返すなんて嫌や」
「大丈夫やわ」
 律子の目が、稔を真っ直ぐに見た。
 視線を外した稔は、半ズボンのポケットに両手を突っ込んで気まずい思いで立っていた。
「しんどなったら、ぼくの自転車の後ろに乗せてあげるわ」長沢の言葉で、その場の空気が気の抜けたようになった。
「昼ご飯を食べたらすぐに集合や。遅れたら置いていくからな」ヤスが宣言した。
「そんなん、殺生や。おれの母ちゃん、メリヤス工場の昼休みに帰ってから作るんやで。絶対に遅なるわ」
 嘆く達也の肩を、稔が抱き寄せた。
「お母ちゃんに頼んだるから、家(うち)で食べたらええわ」
「ほんまか。ご馳走になるわ」
 ヤスたちは「あとでな」と声を掛け合って散らばっていった。
 律子が雪子を膝に乗せてブランコに座っている。稔は隣のブランコにまたがった。
「律子ちゃんたちも来たらええわ」
「うわぁ、うれしいわ」
 膝の上から降りようとする雪子を、律子が両腕で抱きかかえた。
「まずいご飯も、みんなで食べたら美味しいって言うやろ」
 達也が両方のブランコの鎖に手を掛けた。両足を広げていた律子は動かなかったが、半回転した稔は地面に手をついた。
「失敬やな。家(うち)のご飯は、美味しくて舌が溶けてしまうで」手の砂を払った。
「どんなご馳走が出てくるか、楽しみやわ。律子ちゃんたちが来なくても、ご飯はみんな食べてしまうで」
「お替りはあかんで」
「おれの一杯は、腹いっぱいってことや」
「むちゃくちゃでござりますがな」
 うつむいていた律子の肩が動いた。笑ったようだ。
「お腹が減ったら、歩かれへんようになるで」
 律子の腕が開いて、雪子が勢いよく飛び降りた。

「お客さん、連れて来たで」
 稔が玄関に入ると、文枝は「おかえり」とミシンから顔を上げた。
 稔の後ろにいる律子と雪子を見ると、「台所から入ってもらって」とミシンを止めた。
 三畳の部屋はシャツで埋まっている。
「たっちゃんも来るで」
 達也は「母ちゃんに言ってからすぐ行くわ」と、途中からダッシュしていった。
 三人は流しの蛇口に結びつけてある赤い網に入った石鹸で、ごしごしと手を洗った。
「そうめん、湯掻くわ」
 と台所に来た文枝の脇を通って、ちゃぶ台の前に行った。

 律子と雪子を、白い布で覆ってある座り机の横に座らせた。
「うち、そうめん大好きやわ」
「時間が無いから、早よしてや」
「そんなに急いで、昼から何して遊ぶんや?」
「秘密や、秘密」
 稔はちゃぶ台を叩いた。雪子も「秘密や」と声を合わせた。
「おばちゃん。おれの分も作ってや」
 玄関から顔を出した達也が、台所をすり抜けて稔の横に座った。
「かんしゃく玉、持ってきたで」
 ポケットの中から、花火のかんしゃく玉を取り出した。赤や青、黄色の外皮で包まれた中に火薬が入っていて、地面にたたきつけると「パン」と大きな音を立ててはじける。
「みのるも、鉄砲を持って行かんとあかんで」
 達也に言われて、稔は廊下の箱の中から、銀玉鉄砲を取り出した。
 セキデン・マジックコルトだ。後部の穴から銀玉を入れた。一発撃つたびに、後ろから飛び出ているプラスティクの棒を引かなくてはならない。ランニングシャツを持ち上げて、ズボンのお腹に突っ込んだ。プラステックの滑らかな肌合いが、確かに気持ちを強くさせてくれる。

「みのる。いちじく取ってあげたらどうや」
 食事を済ませたどんぶりを、台所に持っていくと文枝が言った。
「そんなんしてたら、間に合わへん」
「うち、いちじくの実、大好きやわ」
「おれも欲しいな」
「律子ちゃんも、好きか?」
 フキンで、ちゃぶ台の上を拭いている律子に訊いた。
「うん。好きやわ」
「今度、いちじくの実、食べさせたるわ」
「ほんま? 約束やで」律子が突き出した小指に、稔は指を絡ました。
「おばちゃん、洗い物させて」
 台所に持って行ったフキンを文枝に渡した。
「おばちゃんがするからええで」
「食い逃げ、ご無礼や」ふたりのあいだを達也が割って入って靴を履いた。達也を真似て雪子も「ご無礼や」と言った。
「ありがとう。おばちゃん」
「何を言うてんの。早よ遊びに行きや」
 優しい声が、稔を見ると急に変わった。
「暗くなる前に、帰ってくるんやで!」
「分かってるわ!」
 玄関を出てから稔は舌を出した。

 公園のブランコに、律子のおっちゃんが乗っていた。よそ行きの服を着て、ブラブラと揺れていた。
「これから、梅田へ行くで」
 不揃いの小さな歯のあいだから息が漏れているような音がした。
「うち、行きたないわ」
「そんなこと言わんと、一緒に行ってえな」
 目が律子の顔を探るように見つめている。
 律子は、稔のズボンに差し込んでいた銀玉鉄砲を抜き取った。
「何するんや、律子ちゃん!」
 稔の言葉に構わずに、律子は左手で銃把の上に出ているプラスティクの棒を引っ張った。カチャリと音がする。黙って立っているおっちゃんに狙いを定めた。
 喉仏がゆっくりと上下に動く。おっちゃんの顔から表情が消えた。
 ピシュッと発射された弾が、胸元に命中した。しばらく声もなくたたずんでいた。
 ゆっくりと辺りを見回したおっちゃんは、稔と目が合うとそらせた。
「雪子、梅田に連れて行ったろか?」
「ほんまか! うち行きたいわ」
「着替えてから行こか」おっちゃんの伸ばした腕を、雪子が両手で抱いた。
「行ったらあかん!」律子が叫んだ。
 振り向いた雪子は、あかんべえをした。
「みのるくん、ごめんやで」
 銀玉鉄砲を返すと、律子は激しく肩を揺らしてふたりのあとを追いかけた。。
「なんや、律子ちゃんも行きたかったんやな」
 達也が呆れた口調で言った。
 地面に落ちた銀玉が、光を反射している。稔はかかとを押し付けて砕いた。
「律子なんか大嫌いや」自分でも思っていない言葉が口をついてでた。
 山行きは、取りやめになった。

 翌朝は頭が痛いと言って、起きなかった。
 ミシンの音を聴きながら、枕を抱いてフトンの上を転がる。雨になったのが救いだった。
「たっちゃんが来てくれたで。帰ってもらうんか」文枝の声に、「上がってもらって」と大声で応えてから、枕を頭に戻した。
 達也の顔が、青白く緊張していた。
「どこか、悪いんか?」寝ている稔が訊いた。
「……律子ちゃんが大怪我したそうやで」
「なんでや!」思わず飛び起きた。
「昨日、梅田で車に轢かれたんや」
 小さな声になった。「わざとぶつかって、おっちゃんがお金もらうんや。父ちゃんが言うてはったわ」
 稔は文枝に確かめるために、ちゃぶ台と座り机の狭いあいだを飛び越えた。足が引っかかって白い布と一緒に、彫りかけの仁王像が畳に落ちた。
「律子ちゃんのこと、ほんまか!」
 文枝の肩を掴んで揺らした。
「可哀想にな」とつぶやいただけで、ミシンから目を上げなかった。
「なんでや……」
 胸の辺りが狭くなったみたいで、息がうまく入らない。裏庭まで行って、ガタガタとガラス戸を開けた。口をぱくぱくさせて空気を飲み込んだ。
 無花果の木が、しんとして立っていた。繁っている葉や実が、くっきりと見える。木に降りそそぐ雨の音が、静けさを切りきざんでいた。
 不意に目の前がぼやけて、緑の色が広がった。
「泣かんでもええやん」
 横にいる達也の声が震えた。
 みかん箱を持って裏庭に降りた。
「何するんや」
「律子ちゃんに、いちじくの実を食べさせてあげるんや」
 大きな実をつかんだ。ねじって引きちぎると、にゅるっとした汁が手の甲に流れる。
 指の間からはみ出た赤いつぶつぶが雨に濡れた。


 終わり。

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