第33話 木枯らし 2

文字数 3,129文字

 

 稔は達也と目を見合わせて笑った。
 自転車の後ろの荷台に積んである木箱の上の舞台に、みんなの目が集中する。
 紙芝居が始まると、あたりはしんと静まり返った。

 女の子の足首を掴んで離さない幽霊の物語だ。
 幽霊に足首を掴まれた女の子が、逃れるために熱いお風呂に足を入れたり、ロウソクの火であぶったり、冷たい水を入れたバケツの中に浸したりと色んなことをする。それでも幽霊は手を放さない。
 おじさんが木枠の舞台から、絵を一枚いちまい抜いて行くたびに歓声が上がる。
 女の子の声はカン高く、幽霊は低い声で喋り、説明するときは強くいったり、弱くいったりと声の調子を変えている。
 見ている子どもたちは、始めは幽霊を怖がっていた。しかし、幽霊が「一人ぽっちにしないでくれ」と震える声でいってからは、同情する言葉を口に出す子どもが出て来た。
 稔は風に吹かれてぱらぱら騒ぐわら半紙を、手でしっかり押さえつけて描き続けた。

 物語の中でも、足首を掴まれた女の子が、幽霊と仲良くなってきて、幽霊が「困っていることがあれば何でもいってくれ。おれが解決してやる」というのだが、女の子が一番困っているのは足首を掴まれていることだった。しかし、「手を放して欲しい」といえない。
 ある日、雨が降ったので、女の子が長グツを履いた。
 すると幽霊は消えてしまった。
 雨に濡れた長グツで動き回られたので、手が滑って放してしまったのだ。それから、女の子は雨が降るたびに幽霊のことを思い出す。

 紙芝居が終って、おじさんが舞台を折りたたみ始めると、雪子が稔に駈け寄ってきた。一緒にいた子どもたちも付いてきて、稔の周りに集まった。
「みのるくんは、うちのために描いてくれてるんや」
  雪子が周りの子どもに、自慢するようにいった。
 ハナフサが、おじさんに話しかけている声が耳に入ってくる。
「いつもお話が上手で、勉強になります」
「なんか知らんけど、役に立つんやったらおっちゃんも嬉しいわ」
「寒い中でも、みんな一生けん命に聞いていますから、凄いと思います」
「ほんまは、寒い冬に幽霊話はせえへんのやけどな。紙芝居もテレビですたれてきたから、絵描きはんもやめる人が増えて、新しいのが回ってけえへんのや」
「声の強弱とか、メリハリのつけかたとかで、みんなの気持ちをひきつけています」
「そんなに大したもんでもないのに、そこまで褒められると照れくさいわ」
 おじさんは頭を掻きながら仲間内のことを話し始めた。
 前はお菓子を買えない子どもは最後列で見せていたのだが、テレビのせいで売り上げが減って、ただで見られたら商売にならへんと追い払うようになった。
「でも、せっかく楽しみにしてくれてるのに、わしはむげにでけへんねん」
「紙芝居も、大衆の文化として残って行って欲しいです」
「文化やなんて大げさやな」
 おじさんは苦笑いを浮かべている。
 ハナフサの言葉に感心していた稔は、画板から顔を上げて聞いていた。

「きみは、貸本屋の子どもだろ」
 ハナフサが、わら半紙を覗き込んで訊いてきた。
「貸本屋の子どもと違う。あそこで読んでるだけや」
「……そうなのか」
 ハナフサは納得していない様子だったが、さらに訊いてきた。
「なんのために描いているのかな?」
 稔が答えないで、鉛筆を動かせ始めると、達也が説明を始めた。
「交通事故で、動かれへんようになった律ちゃんに見せるんや」
「金田律子さんのことかな?」
「律ちゃんを知ってるんか?」
 達也が質問をしかえした。
「クラスメートなんだ」
「クラスメート?」
「同級生なんだ」
 言い換えたハナフサが稔の顔をまじまじと見た。
「じゃあ、きみは金田さんのために描いてるの?」
 そう訊かれると、稔は急に恥ずかしくなった。
「それもあるけど、雪子にせがまれて……」
「雪子?」
「律ちゃんの妹や」
 また達也が答えて、そばにいた雪子を指した。
「律ちゃんと同じクラスやいうてるで」
「華房です。お姉さんは元気かな?」
「げんきやったら、いっしょにきてるわ」
「……」 
 稔は雪子の言葉に戸惑っている華房の表情が面白くて、下を向いて笑った。

 絵を描き終わると、わら半紙の裏側に律子への手紙を書いた。
『元気ですか、ぼくは元気であそんでます。
 夏になったら、いちじくの実をもっていくから食べてください。 みのる』
 書き終わると、達也に鉛筆を渡した。
『おれも元気や。
 夏になったらきれいな貝がらをもっていくから食べてください。 たつや』
「貝がらは、食べられへんやろ」
 稔がいうと、達也は顔を赤くした。
『食べて』の文字を黒く塗りつぶして『あそんで』と横に書いた。
「僕にも書かせて欲しいな」
 ハナフサが手を出したので、達也が鉛筆を渡した。
『金田さん華房です。
 看護婦さんになる夢を持っていましたね。
 新しい夢を見つけたら、教えてください。いつでも応援します。』

 漢字を使って、きれいな文字で書いてある。まるで先生が書いたみたいだ。
「きみの夢は何かな?」
 急に、華房が訊いてきた。
「……」
「みのるは絵がうまいから、絵描きさんや。マンガも描いてるんやで」
 達也が自慢をするようにいった。
「マンガは、やめといたほうがええ」
 紙芝居屋のおじさんが、話の中に入って来た。
「わしの知ってる紙芝居の絵描きはんが、貸本マンガを描き始めたんやけど、マンガもあかんみたいやで」
「僕は違うと思います。貸本マンガはなくなってしまうかもしれませんが、『少年サンデー』や『少年マガジン』のように週刊マンガ誌が発行されていますから」

『週刊少年サンデー』は昭和三十四年(1959年)、小学館から毎週火曜日に発売されていた。同じ時期に講談社が『週刊少年マガジン』を発行し、こちらは毎週水曜日の発売だった。
 値段は同じ三十円だったが、今は四十円に値上がっている。

 おじさんは、数年前にマンガは子どもに悪影響を与えるとして、「日本子どもを守る会」や「母の会連合会」など各地のPTAが、児童マンガをやり玉にあげて手塚治虫のマンガを「悪書追放」として、学校の先生やPTAが、校庭で燃やしたことを話した。
「あれは残念なことでした。かかわった大人は恥じなければなりません」
「あんたは、ほんまに小学生か?」
「まだ未熟者です。これから多くのことを学んでいきたいと思っています」

「なんか、変なヤツやな」
 達也が華房の後ろ姿を見ながらいった。
「そうかな、かっこええと思うけど」
 稔は華房に、憧れのような気持ちを抱いていた。
「みのる、悪いな。カタヌキが割れてるわ」
 ジャンパーのポケットから達也が、二つになったカタヌキを取り出した。
「犬のおっさんが、ぼくらを動かしたせいやな」
「水あめも食べたし、みのるに悪いから五円返すわ。おばちゃんの手伝いをせえへんようになって、お金がないやろ」
「そんなんええわ」
「いつまでも意地を張ってんと、こづかいのために手伝えばええねん」
「……」
 シャツをたたむことをやめたので、いままで貯めていたお金が出て行くばかりになっている。
「とにかく五円は昼から渡すわ。そうせんとおれの気持ちが済まへん」
「それやったら、その五円でマンガを読ませてもらうわ」
「また、マンガの勉強するんか? ほんまに、貸本屋の子どもになったらええやん」
「どうやってなれるんや」
「ここの子どもにしてくださいって頼むんや」
「はい、どうぞって、いうわけないやろ」
「頼んでみないとわかれへん」
「もう、むちゃくちゃでござりますがな」
 稔は花菱アチャコのギャグの物まねをした。
「もう、まったく面白くないでござりますがな」
 ギャグで返した達也に、昼は貸本屋へ寄って行くから雪子の面倒を見て欲しいと頼んだ。


木枯らし 3 に続く。

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