第32話 木枯らし 1

文字数 3,621文字



「隙間風が入らんように、ちゃんと閉めて行ってや」
 浦山稔が急いで玄関を出ようとしたとき、母親の文江に声をかけられた。
 十一月の冷たい風が、足元に枯れ葉を運んでくる。
 玄関の土間に板を敷いた上で足踏みミシンを掛けている文江は、腰から毛布を巻いて朝から晩まで、肌着のシャツにタグを縫い付ける内職をしていた。
 左脇に画板を抱えていた稔は、丸めたわら半紙の束を持っている右手で叩きつけるように引き戸を閉めた。
「ガシャン!」と木枠に当たった反動で、引き戸が少し戻る。その隙間から枯れ葉が土間に侵入した。

 一瞬だけ足を止めたが、稔はそのまま走った。
 寒かったら自分で閉めればいいのだ。
 日曜日だが、父親の寛之が工場へ働きに行っているので出来ることだった。
 路地の角や隅に吹き溜まっている枯れ葉が、背後から吹きつける風に足元を駈け抜けていく。枯れ葉と競争をしながら松月(しょうげつ)公園に向かう。

 金田律子が自動車事故に遭った日から、稔は文江のいうことを聞かなくなっていた。シャツを折りたたむ手伝いもやっていない。
 律子は病院を二ヶ月で退院をしたのだが、それ以来外に出てこなくなった。妹の雪子に訊くと、ひとりでは歩けなくなってしまったということだった。
 何度も植野達也と家まで会いに行ったことがある。しかし、律子は顔を合せたくないみたいで、その都度雪子が出てきて、「帰ってほしい」と追い返されたのだ。
 顔のどこかに大きな傷ができたのかと、達也と話をしたが、雪子に確かめることはできないでいた。

 昼前なのに太陽が空一面を覆った雲に隠されて、大きな影の中にいるようだった。
 ジャンパーを着ている稔の喉元から、たえず吹きつけてくる風が入ってきて寒い。
 稔が走ると、半ズボンのポケットに入れている十円玉と筆箱が太ももに擦れた。数本の鉛筆が筆箱の中で暴れている。2Bの鉛筆の芯が折れないようにと願いながら駈けた。
 紙芝居屋のおじさんが公園にきたので、稔は画板とわら半紙、2Bの鉛筆、そして十円玉を取りに帰ったのだ。
 お金の無い雪子は離れたところからしか、紙芝居を眺めることが出来ない。だから、稔が紙芝居の絵を写して、雪子に見せるのだ。
 律子が交通事故に遭う前は、見終わってから描いていたので、どうしても簡単な絵になってしまっていた。
 稔は律子にも見てもらいたくて紙芝居屋のおじさんに事情を話して、見ながら書くことの許可を貰ったのだ。初めは十枚の絵を写すのに苦労をしたが、月に二、三回、紙芝居を写していたので、今は慣れて律子にわかるように説明の文字も書き入れている。
 紙芝居屋のおじさんの来る日と時間が分かっていればいいのだが、拍子木を叩く音で気づくので、どうしても慌ててしまうことになるのだ。

 公園の入り口で、雪子と自転車に乗った長沢が待っていた。
「紙芝居のおっちゃん、公園は寒いからって神社へ行ったわ」
 長沢が教えてくれた。
 近くにある神社は、境内に入る階段の手前に幅広い参道がある。杉木立ちで風を遮っているその場所に移動したようだ。
「達ちゃんが、場所取りするいうて、みんなと一緒に付いて行くから、雪子を見てくれって頼まれたんや」
「おおきに、また昼から遊ぼ」
「じゃあ、またな」
 そういって長沢が、電池式のブザーを鳴らして帰って行った。

 紙芝居はお菓子を買って見るのだが、長沢は診療所の先生をしている親から、道端で売り買いするお菓子は不潔だと禁止されていて、いつも紙芝居を見ないのだ。
 お菓子は水あめだったり、型ぬきだったり、2枚の炭酸せんべいを重ねたあいだにソースが塗ってある物だったりする。
 稔は雪子と一緒に神社へ急いだ。

 神社の杉木立ちが見えてきた。紙芝居屋のおじさんが叩く拍子木の音が聴こえる。もうすぐ紙芝居が始まる。
 雪子の走るスピードに合わせていた稔の足が速くなった。そのためか、雪子のズッククツが脱げた。いつも律子のお下がりの大きなズッククツを履いているのだ。
「始まってしまうさかい、先に行って!」
 そういって、雪子がズッククツを取りに戻った。
「わかった。転ばんようにゆっくりきたらええわ」
  稔はスピードを速めて走った。

 神社の参道を塞ぐように子どもたちがかたまっていた。
 枯葉まじりの冷たい風が吹き込んでくるので、二十人近くの子どもたちがその場で飛び上がったりして身体を動かせている。一番前の真ん中にいる達也が手を振った。
 六年生の雅史と弟の博史や見慣れた顔が多くいる。
 紙芝居屋のおじさんは、木と木のあいだに自転車を停めていた。その反対側の木のあいだには、雪子のようにお菓子を買えない数人の子どもの姿があった。
「みのる。場所を取っといたから、ここへこいや」
 稔はそばへいって、「カタヌキやったわ」とぼやく達也に画板とわら半紙の束を預けた。それから、半ズボンのポケットから十円玉を取り出して、紙芝居屋のおじさんに渡した。
 おじさんは自転車の荷台に積んである大きな木箱の三段ある一番下の引き出しを開けて、中から半分に折った割り箸に絡めた水あめを出した。
 稔は雪子の姿を確かめてから、達也の隣に並んで水あめを渡した。
「カタヌキと交換したるわ」
「アリが十匹や」
 達也はアリガトウをアリが十匹というのだ。
 早速、割り箸を両手に持って練り始めた。透明だった水あめが、しだいに白くなっていく。
 
 おじさんは、型抜きを得意とする稔には、いつも別のお菓子を渡すのだ。
 型抜きはマッチ箱ぐらいの大きさの甘い板状の薄いお菓子の中に、様々な形が刻んである。それは、花のチューリップだったり、乗り物の飛行機だったり、動物のうさぎだったりした。外側を割らないで上手にくり抜くことができると、高いお菓子をもらえる。
 家に持って帰って、溝を針やつまようじや画鋲を使ってくり抜くのだが、慎重さと忍耐強さを必要とする。

「邪魔やないか!」
 怒鳴り声が聞こえたので、稔は顔をむけた。
 大きな犬を連れた男が参道に立っている。
「すんまへんなぁ」
 紙芝居屋のおじさんは謝ってから、子どもたちに向かって「そこを通れるように開けてや」といった。
 子どもたちが二つに割れて、参道の真ん中を開けた。
「参道の真ん中は、神様の通る道やから歩いたらあかんのや」
 男は稔たちがかたまっているほうを見て、追い払うように手を動かせた。
 渋々動く子どもたちの中から、「おっちゃん、はよ行ってんか」「じゃませんといてんか」の声が上がった。
「なにをいうて、けつかんねん!」
 男は顔をしかめて、「紙芝居屋! ほかの場所で商売しろ!」と再び怒鳴り声を上げた。
「こっちは宮司さんに、話を通してますんや。あんたがこの子らに、お金を返してくれはるんやったら他へいってもええですけどな」
 おじさんがいうと、子どもたちが、「そんなんいやや」「紙芝居みたいわ」と口々にいった。
「なんでわしが知らん子どもらに、金を出さんとあかんねん」
「身銭もよう切らんヤツが、人に指図なんかしたらあきまへん」
「紙芝居屋が、生意気いうな!」
 男が犬をけしかけると、おじさんは拍子木を前に突き出して構えた。

「おじさん。その犬のウンコ、ほうったらかしにしてませんか?」
 緑と茶色の格子柄のマフラーをしている男子がいった。
貸本屋で時々見かける顔だった。四年生の稔よりは上の学年みたいで、マンガよりも『怪盗ルパン』や『少年探偵団』などの読物を借りていたことを覚えている。
 予想外の言葉をかけられて、男の動きが一瞬止まった。
「ぼくたちの小学校で美化活動をやってますけど、犬のウンコの苦情が多いんです。ウンコの後始末をする新聞紙で作った袋を届けますから、おじさんの名前と住所を教えてください」
「そんなの、要らんわい!」
「神様が歩かはるとこに、ウンコさせたらあかんわ」
 達也が大きな声でいうと、他の子どもたちも「バチが当たるわ」と騒ぎ始めた。
「うるさい! お前らのせいで、ゆっくり犬の散歩がでけへん」
 捨てセリフをいうと、男は犬を引きずって離れていった。
 子どもたちがまた参道を塞いだ。
「学校で美化活動なんかやってるか?」
 稔は達也に声をかけた。
「知らんな」
「あの人は誰やろ? 六年生なんかな」
「訊いてきたるわ」
 達也が後ろの子どもたちをかき分けて、男子に近づいていった。
 気軽に話しかけている達也を見て、羨ましいと思った。
 手を振っている雪子に気付いて、手を上げて応じていると、達也が戻ってきた。
「五年生や。ハナフサっていうてたわ。それと、さっきのことはケンカを止めるために嘘ついたんやて」
「頭がええんやな」
 とっさに思いついて、堂々といえるのは凄いと感心した。
「嘘つきは、泥棒の始まりや」
 達也が吐き捨てるようにいったときに、紙芝居屋のおじさんが拍子木を叩いて、「始まり、はじまりぃ」と、風に吹き飛ばされないしっかりとした声を上げた。


木枯らし 2 に続く。

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