第98話 ユーカリの樹 6

文字数 1,422文字


 すぐに雪子が走って来た。
「さっき、うちにおきゃくがきたわ」
「六年生の大宮やろ」
「なんや、知ってたんか」
「ここに来て、次の交換会のことを教えてくれたわ」
「エンピツとかけしゴムとか、いっぱいもってきてくれはった」
「それは、よかったな」
「おとなもいっしょやった。お姉ちゃんいややいはったけど、しゃしんをうつしはったんや」
「えっ、そんなこと、聞いてへん」
 稔は何があったのかを訊いたが、雪子はよくわからないといった。
「律ちゃんに、訊きにいくわ」
「お姉ちゃん、会いはらへんと思うわ」
「でも、心配や」
 稔は走り出した。
 追いかけてくる雪子の足音が聞こえても、スピードを緩めなかった。

 路地を抜けて、律子の住む一画に入ると、井戸端にいた数人のおばさんたちが一斉に視線を向けて来た。
 稔は頭を軽く下げて通り過ぎた。
「律ちゃん!」
 律子の家の前に立った稔は、大きな声で名前を呼んだ。
「みのるやけど、何があったんや」
 耳を澄ませたが、返事も物音も聞こえてこない。
「律ちゃん! 中に入るで」
 稔は一歩踏み出した。
「あかん! 帰って」
 悲鳴のような鋭い声が、家の中から飛んで来た。
「律ちゃん!」
 もう一度、大きな声をだした。
「なんで、ぼくと話してくれへんねん」
 引き戸は手の届くところにある。
 このまま、入ってしまおうかと手を伸ばした。
「あんた。律子が嫌やいうてるやろ」
 声と一緒に肩を掴まれた。
 顔だけは見知っている近所のおばさんだった。
 後ろに立っている三人のおばさんも、怒ったような顔をしている。
「小学生のくせに、もう色恋沙汰(いろこいざた)か」
「そんなんと違うわ」
「なんや。わてらに文句いわんと、さっさと家へ帰り」
「みのるくんをいじめんといて!」
 雪子が駈けこんできた。
「なんで、わてらが悪者になるんや」
「どれだけ、迷惑かけてるかわかってるやろ」
「そんなこというてええんか。もう面倒みたれへんで」
 おばさんたちは、雪子をちらりと見やりながら口々にいった。
「……ごめんなさい」
 雪子が下を向いてしまった。
 稔は予想外の展開に言葉を失った。
 これ以上ここにいると、律子の迷惑になると思った。
「すいませんでした」
 頭を下げてその場から離れようとした。
「律子も動かれへんのに、ようやるな」
 その言葉に足を止めそうになった。が、振り向かないで路地を出た。

 公園へ着くと、空いていたブランコに座った。
 あのおばさんたちは、律子をあまりよく思っていないようだ。
 そのことがわかってショックだった。
 どうすればいいのかと考えても何も浮かばない。
 目は自然に、缶ケリ遊びをしている達也を追っている。
「みのるくん。だいじょうぶか?」
 雪子が稔の目の前にきた。
 ハアハアと肩で息をしている。
「ごめんな。考えなしで家まで行って、迷惑かけてしもたわ」
「ええねん。おばちゃんたちは、いつもあんなんやから」
 雪子は、小さく溜め息をついた。
「ゆきこもお姉ちゃんも、へいきや」
 顔を上げて白い歯を見せた。
 もっといろんな陰口をいわれているはずなのに、気にしないようにしているみたいだ。
 急に雪子が大きく見えた。

 どこか空の高いところで鳥が鳴いている。
 見上げると、鳥の影は見得なかったが、飛行機雲が消えかかっていた。
 稔の胸の中に、どうしようもない不安がくすぶっている。
 このままにしておくわけにはいかない。
 稔は華房の家へ行って、直接訊くしかないと思った。


 ユーカリの樹 7 に続く。


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