95、ヤズィード1世(5)

文字数 953文字

ヤズィード1世についての続きです。作品集は下の画像から入って下さい。
ハサンとムアーウィヤの間で結ばれた和約は一時的な平和をもたらしたものの、カリフの地位の継承に関する枠組みが確立されたわけではなかった。過去の場合と同様に、地位の継承の問題は将来の禍根となる可能性が残っていた。東洋学者のバーナード・ルイスは「イスラームの歴史からムアーウィヤが利用できた先例は合議と内戦だけであった。前者はうまく行きそうにもなく、後者には明白な問題があった」と指摘している。このような理由から、ムアーウィヤは自分の息子であるヤズィードを後継者として指名することで生前に問題を解決しようとした。しかし、世襲による継承はそれまでのイスラームの歴史において前例がなく、イスラーム教徒にとってこのような考えは恥ずべきものであった。初期のカリフたちはマディーナでの民衆の支持、あるいはムハンマドの古くからの教友(サハーバ)による合議によって選出されていた。また、イスラームの原則によれば、カリフの地位は支配者の私有物ではなく、子孫に与えられるものではなかった。さらに、支配者の地位は父から息子へ引き継がれるべきものではなく、より広い部族の人物の中から選ばれるべきであるとするアラブの慣習によっても受け入れ難いものであった。
ムアーウィヤはなぜ今までイスラームの歴史にはなかった世襲をしてヤズィードを後継者に指名したのでしょうか?
ムアーウィヤはクライシュ族の妻の子である長男のアブドゥッラーを後継者の候補から外した。これは恐らく、カルブ族の妻の生まれであるヤズィードに対するシリアでの強力な支持によるものであった。カルブ族はシリア南部で支配的な部族であり、より大きな部族連合であるクダーア族を率いていた。クダーア族はイスラームが成立する遥か以前にシリアで勢力を築き、アラビアとイラクのより自由闊達な気質の部族とは対照的に、ビザンツ帝国の下でかなりの軍事経験を積むとともに階層的秩序にも精通していた。一方、シリア北部はムアーウィヤの治世中にその地へ移住してきた部族連合のカイス族によって支配されていたが、カイス族はウマイヤ朝の宮廷におけるカルブ族の特権的な地位に不満を抱いていた。
力のある部族連合の支持を得ることが重要になってくるのですね。
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