9、ヒポクラテス(2)

文字数 1,298文字

ヒポクラテスについて続きを話そう。
作品集には下の画像から入ってください。
生年が紀元前460年とされることから、ヒポクラテスは『戦史』を著した歴史家トゥキディデスと同い年、また哲学者ソクラテスよりおよそ10歳年少で喜劇作家アリストパネスよりも15歳ほど年長であった。この時代はギリシャの古典期にあたり、ペルシア戦争に勝利したアテナイは、ペリクレス(紀元前444年から紀元前430年までアテナイの将軍職)のもと最盛期を迎え、哲学、建築、彫刻、文学など数多くの分野で今日まで影響を及ぼす文化が生まれた(この時代をペリクレス時代ともいう)
ちょうどアテナイの最盛期にヒポクラテスも生まれているのですね。
最盛期に生まれたからこそ、いろいろな人の目に留まって名前も残りやすい。いくら当時有名であっても、その時代の記録が残ってなければ、長い年月の間に忘れ去られてしまう。それにしてもルネサンス期以降はギリシャやローマの古典がたくさん流通したようでうらやましい。
はい、僕のいた修道院の図書館にもいろいろな時代の本が置いてありました。
私の生きた時代、本はまだ写本だから非常に高価であった。そして修道院に置かれた本はそのほとんどがキリスト教に関係ある本でギリシャやローマの古典はほとんどなかった。
余の時代もまた修道院に置かれていたのはキリスト教関係の本がほとんどであった。
21世紀は紙の本だけでなく、機械を使って本を読んだり情報を手に入れることもできるというではないか。本当にうらやましい。
はい、ここのチャットノベルにある内容もほとんどスマートフォンと呼ばれる小さな機械で調べています。
アテナイはペリクレスの死後ペロポネソス戦争を経てスパルタに覇権を奪われやがて衰退した。
スパルタの軍隊の訓練の厳しさは有名だ。スパルタ人は強くなるために子供の時から集団生活をして鍛えられていたらしい。そのスパルタが覇権を握った時、文化は衰退したのか。
スパルタはきっと軍事訓練ばかりやっていて、それ以外のことに関心がなかったのだと思います。
余の兄上で戦士王と呼ばれたアルフォンソ1世のようだ。
ヒポクラテスは生涯医学を教え、自ら実践し、また遍歴医として少なくともテッサリアやトラキア、さらに地中海と黒海の間にある内海マルマラ海の辺りまで旅をし、テッサリア地方の中心都市ラリサで死去したといわれている。
紀元前の時代にそんな遠くまで行っているのはすごいですね。
没年についてはソラノスの伝記では90歳で死去したとあるが、著者不明のヒポクラテス伝記(ブリュッセル写本)およびツェツェスの伝記では104歳とあり、その他にも83歳等の説もあることから、正確な没年齢は不明である。
ニコラさんは90歳過ぎで亡くなって、当時としては長生きで大往生でした。ヒポクラテスもかなり長生きですね。
医者で健康にも気を使っていれば長生きにもなるのだろう。
私は特別自分の健康に気を使ってはいなかった。本を読み始めて没頭し寝食を忘れることもしばしばあったが、それでも長生きした。
ヒポクラテスの医学や言葉で伝えられていることはたくさんある。それらについて次回から話をしよう。
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