9、ヒポクラテス(2)
文字数 1,298文字
生年が紀元前460年とされることから、ヒポクラテスは『戦史』を著した歴史家トゥキディデスと同い年、また哲学者ソクラテスよりおよそ10歳年少で喜劇作家アリストパネスよりも15歳ほど年長であった。この時代はギリシャの古典期にあたり、ペルシア戦争に勝利したアテナイは、ペリクレス(紀元前444年から紀元前430年までアテナイの将軍職)のもと最盛期を迎え、哲学、建築、彫刻、文学など数多くの分野で今日まで影響を及ぼす文化が生まれた(この時代をペリクレス時代ともいう)
最盛期に生まれたからこそ、いろいろな人の目に留まって名前も残りやすい。いくら当時有名であっても、その時代の記録が残ってなければ、長い年月の間に忘れ去られてしまう。それにしてもルネサンス期以降はギリシャやローマの古典がたくさん流通したようでうらやましい。
ヒポクラテスは生涯医学を教え、自ら実践し、また遍歴医として少なくともテッサリアやトラキア、さらに地中海と黒海の間にある内海マルマラ海の辺りまで旅をし、テッサリア地方の中心都市ラリサで死去したといわれている。
没年についてはソラノスの伝記では90歳で死去したとあるが、著者不明のヒポクラテス伝記(ブリュッセル写本)およびツェツェスの伝記では104歳とあり、その他にも83歳等の説もあることから、正確な没年齢は不明である。