10、ヒポクラテス(3)
文字数 1,178文字
哲学(イオニア哲学)に対しても、『古い医術について』という論文ではエンペドクレスのような空気、水、火、土を四大元素とする哲学的傾向や、クロトンのアルクマイオンのように熱、冷、乾、湿をそれぞれ対抗する力ととらえ、病気の原因や治療をそこから説こうとする傾向を医学から排除しようとしている。
医学を宗教から切り離し、病気は神々の与えた罰などではなく、環境、食事や生活習慣によるものであると信じ、主張した。たしかに『ヒポクラテス全集』には一部(『養生法』4,79、90各節)を除いて迷信的要素はないが、一方でヒポクラテス自身解剖学的、生理学的に誤りである四体液説を信じ、これに基づいた医療行為を行っていた。
古代ギリシアの医学は、クニドス派とコス派(ヒポクラテス派)の二つの学派に分かれていた。クニドス派は診断を重視した。これはつまり、病気をくわしく分類し、身体のどこがどんな病気に罹ったかを特定して治療する方法であるが、当時ギリシアでは人の体を解剖することがタブーとして禁じられており、医師は解剖学、生理学の知識をほとんど持っていなかったことから、結果としてクニドス派は診断を誤ることも多かったという。
16世紀には解剖が盛んに行われ、1543年にはヴェサリウスの『ファブリカ』が出版されて人体についてかなり詳しくわかるようになりました。それでも人体の構造についての知識が実際に医学で使われて病名を判断できるようになったのは19世紀以降だったのですね。
一方コス派は、予後を診断以上に重んじ、効果的な治療を施し大きな成果を上げた。コス派は季節、大気といった環境の乱れや食餌の乱れが体液の悪い混和をもたらし病気を引き起こすと考えたので、患部はつねに体全体であり、病気は一つであった。