88、アリー・イブン・アビー・ターリブ(5)

文字数 695文字

アリー・イブン・アビー・ターリブについての続きです。作品集は下の画像から入って下さい。
アリーとその支持者は、勢力を拡大し続けるムアーウィヤとの戦いに加えて、身内から出たハワーリジュ派にも対処しなければならなくなり、疲弊を余儀なくされた。アリー自身はムハンマド存命中のウンマ防衛や異教徒侵略のための戦いで活躍したが、それは多くが数百の手勢を率い、自身も先頭に立って戦う野戦指揮官としてであり、個人的な武勇や戦術を超えた、数万の軍隊を指揮する戦略や有力な軍司令官や総督を引き込む政略では、ムアーウィヤにははるかに及ばなかった。
私は実際の戦争は体験していないのでよくわからないのですが、大変そうです。
ムアーウィヤは刺客の手から逃れたが、一方アリーは661年にクーファの大モスクで祈祷中にアブド=アルラフマーン・イブン・ムルジャムにより毒を塗った刃で襲われ、2日後に息を引き取った。正統カリフ4代のうち実に3代までが暗殺されたことになる。
モスクでの祈祷中に襲って暗殺するなんて酷いです。
アリーの暗殺により、ムアーウィヤは単独のカリフとなり、自己の家系によるカリフ位の世襲を宣言し、ウマイヤ朝を開くことになる。
このようなやり方はどうも気に入らない。
これに反発したアリーの支持者は、アリーとムハンマドの娘ファーティマとの子ハサンとフサインおよびその子孫のみが指導者たりうると考え、彼らを無謬のイマームと仰いでシーア派を形成していく。これに対して、ウマイヤ朝の権威を認めた多数派は、後世スンナ派(スンニ派)と呼ばれるようになる。
このようなことがあって、イスラム教徒はシーア派とスンニ派に分かれたのですね。
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