83、スィッフィーンの戦い(4)

文字数 1,161文字

スィッフィーンの戦いについての続きです。作品集は下の画像から入って下さい。
7月30日、シリア軍のムアーウィヤとアムルは自軍の劣勢を挽回するため策を講じ、兵士の槍の穂先にコーランの紙片を掲げさせて和平を呼びかけた。これを見てイラク軍は動揺し、一部の部隊が戦闘を放棄した。アリーはこの呼びかけを敵の策略であるとして戦闘継続を命じたが、この兵士たちはアリーの本陣を取り囲んで戦闘中止を強要した。しかしこの時点では、アシュタルに率いられた大部分の部隊は依然戦いを続けていた。
シリア軍は卑怯な方法を使っていますね。
アリーは本陣を取り囲む兵士たちが次第に脅迫的な態度に転じるのを見て脅威を覚え、前線で指揮を取るアシュタルを呼び寄せた。そこでアシュタルと和平論者のあいだで激しい口論が起き、イラク全軍は戦闘中止に追い込まれた。アリーは和平論者に強いられてキンダ族の族長アシュアス・イブン=カイスをシリア軍に送って彼らの行動の意味を尋ねさせたが、ムアーウィヤと協議したアシュアスはアリーの許可を得ることなく独断で和平を受け入れてしまう。
アリーはそのつもりがなくても和平条約を結ばなければならない状況になってしまったわけか。
その結果、両軍の停戦が成立し、後日アリー側とムアーウィヤ側の各代表者がクーファとダマスクスの中間地点で協議して、問題の正式な裁定を行うことが決定された。この「問題」についてアリー側はウスマーン殺害者の引渡しをめぐるものと解釈したが、ムアーウィヤ側は誰がウンマの指導者として相応しいかという議論をも含むものと主張した。
この時の争いと曖昧な形での決着が、その後のイスラム社会の歴史でずっと尾を引いているように思います。
アリーがムアーウィヤとの最終的な決着をつけないまま兵を退く羽目に追い込まれたため、その権威と支配力は一気に弱体化した。また遠征に費やした戦費のため財政的困難にも陥った。さらにアリーの妥協的な態度に失望した一派は、人間の協議によってウンマの内戦を解決しようとする考えに対して、「裁定は神のみに属す」というスローガンを掲げて反発し、アリーの陣営を離脱した。彼らはハワーリジュ派として第三の勢力を成し、アリーがムアーウィヤとの対決に専念することを妨げ、ついにはアリーを暗殺するにいたる。
思想が危険な方向に向かっていますね。
一方ムアーウィヤはこの戦いで敗北を免れたことによってイスラーム世界の一方の雄としての地位を確立し、さらに戦後のドゥーマト・アル=ジャンダルの和議によって法的にもアリーと対等の立場に立つこととなった。そのためスィッフィーンの戦いはイスラームの第一次内乱における天下分け目の決戦であり、アリーの没落とムアーウィヤの台頭を決定したものと見ることができる。
次回からアリーについて調べていきます。
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