112、アブドゥルマリク(4)

文字数 840文字

アブドゥルマリクについての続きです。作品集は下の画像から入って下さい。
ヒジャーズに残っていた他のウマイヤ家の人々と同様に、アブドゥルマリクは権力基盤を持つシリアのダマスクスから統治するムアーウィヤ1世とは緊密な関係にはなかった。ムアーウィヤ1世はウマイヤ家の中ではアブー・スフヤーンの子孫(スフヤーン家)の系統に属していたが、一方でアブドゥルマリクはより多くの成員を抱えていたアブー・アル=アースの子孫の系統に属していた。
同じウマイヤ家の中でもさらに細かく分かれていたのですね。
683年にはムアーウィヤ1世の息子で後継のカリフであるヤズィード1世(在位680年ー683年)に対する反乱がマディーナで起こり、アブドゥルマリクを含むウマイヤ家の人々はマディーナから追放された。この反乱は第二次内乱として知られるより広範囲に及んだ反ウマイヤ朝運動の一部であった。
反乱が起きればウマイヤ家の人間ということで追放されてしまうのですね。
アブドゥルマリクはウマイヤ朝の首都のダマスクスへ向かう途上でヤズウィード1世からマディーナの反乱軍を鎮圧するために派遣されたムスリム・ブン・ウクバが率いる軍隊と遭遇し、マディーナの防備に関する情報を提供した。ヤズィード1世の遠征軍は683年8月に起こったハッラの戦いでマディーナの反乱軍に勝利したものの、同年末にヤズィード1世が死去すると遠征軍はシリアへ撤退した。
ヤズィード1世の死でウマイヤ朝は混乱しました。
683年から684年にかけてヤズィード1世とその息子で後継者のムアーウィヤ2世が相次いで死去したことでダマスクスでは指導力の空白が生じ、その結果としてイスラーム国家全域におけるウマイヤ朝の権威が崩壊した。ほとんどの地方はメッカを本拠地にウマイヤ朝に対抗してカリフを称したアブドゥッラー・ブン・アッ=ズバイル(以下、イブン・アッ=ズバイル)に忠誠を誓った。
後継者が次々と亡くなってウマイヤ朝の権威は墜ち、イブン・アッ=ズバイルの力が増したようです。
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