89、ムアーウィヤ(1)
文字数 921文字
ムアーウィヤ(603年頃ー680年)はイスラム教の5人目のカリフで、ウマイヤ朝の初代カリフ(在位661年ー680年)である。同名の孫、ウマイヤ朝第3代カリフムアーウィヤ2世と区別してムアーウィヤ1世とも呼ばれる。
ムアーウィヤを排出したウマイヤ家はクライシュ族の名門で、ムアーウィヤの父アブー・スフヤーンはマッカ(メッカ)の有力者として預言者ムハンマドに激しく敵対した人物である。ムハンマドがメッカを征服したのちに、父アブー・スフヤーンらに従ってイスラム教に改宗し、兄のヤズィードとともにムハンマドの秘書のひとりとして活躍した。
ムハンマドの死後、ムアーウィヤの兄ヤズィードが初代カリフ・アブー=バクルによって初代シリア州の総督(アミール)となるとアブー・ウバイダの副司令官として同地の征服を命じられ、ムアーウィヤはこれに従ってシリア駐留の東ローマ帝国との戦争に従事した。ハーリド・イブン=アル=ワリードがイラク戦線から転戦し、ダマスクス、エルサレムなど主要都市が次々にイスラーム勢の支配下におかれたが、639年にシリア一帯で流行した悪疫によってシリア総督アブー・ウバイダをはじめシリア方面軍の将卒の多くが病死した。
第2代カリフ・ウマルはヤズィードに次代総督を任せ、抵抗が激しかったカエサリアの征服を命じた。しかし、640年に兄ヤズィードもダマスクスで病死すると、ウマルは改めてムアーウィヤにシリア総督に任命した。ムアーウィヤはシリアの部族を掌握してカエサリアを陥落させるなど東ローマ帝国との戦いを進め、キプロス島とロドス島を征服してシリアに確固たる勢力を築いた。