11、ヒポクラテス(4)
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私は医学を専門的に学んだわけではないが、修道院でずっと医者のような役割を果たしてきた。修道院には伝統的に薬草の使い方などはかなり詳しく伝えられてきた。だが病気の原因を知ることはできず、ただ薬草を使って症状を緩和させるのが精一杯であった。そして病気の原因について疑問を持つことも許されなかった。
ヒポクラテス医学においては、『人間の自然性において』で示されるように、人間は血液、粘液、黄胆汁、黒胆汁の四体液をもち、それらが調和していると健康であるが、どれかが過大、過小または遊離し孤立した場合、その身体部位が病苦を病むとした。
このほか、ヒポクラテス医学における重要な概念の1つが分利である。分利とは病気の進行における段階の1つであり、この段階においては患者が病に屈して死を迎えるか、あるいは反対に自然治癒によって患者が回復するかのいずれかが起こる。
あの時代はそれが限界だったのだろう。病気が分利を経て一旦回復した後に再発した場合は、もう一度分利を迎えることになる。分利は罹患して一定期間後にみられる「危篤日」に起こる傾向があることは分かるが、分利が「危篤日」から大きくずれて見られた場合は病気の悪化が懸念される。ガレノスはこれをヒポクラテスの考えであるとしたが、実際にはヒポクラテス以前から存在した可能性が指摘されている。
「一般」病理学に基づき、「一般」治療を施すとの考え方から、ときには効き目の強い薬を使うこともあったというが、基本的には患者に薬を投与したり、特定の治療法をとることはしないようにしていた。こうした受動的、消極的な治療法は、比較的単純な疾患、例えば骨折の中でも骨格組織を牽引して損傷部位の圧迫を軽減する必要がある場合などには大変効果的であった。『ヒポクラテスのベンチ』や他の器具はこのような目的のため発明され使用された。
ヒポクラテス医学の強みのひとつに『予後』を重視したことがあげられる。ヒポクラテスの時代には、薬物による治療は未発達であり、医師のできることといえば病気の程度を診断し、他の症例を参考にして病気の進行を予測することぐらいであった。