11、ヒポクラテス(4)

文字数 1,739文字

ヒポクラテス医学の中でも特に重要な体液病理説について説明しよう。
作品集には下の画像から入ってください。
体液病理説とは、「人間の身体を構成する体液の調和が崩れることで病気になる」とする説で、18世紀に病理解剖学が生まれるまでは臨床医学の主流の考え方であり、その後も病態生理学の土台となった考えであった。
16世紀には解剖が行われ、人間の体の仕組みについてはかなり詳しくわかってきたはずです。それでも病気の原因についてはよくわからないことが多く、体液病理説がずっと使われてきたのですね。
私は医学を専門的に学んだわけではないが、修道院でずっと医者のような役割を果たしてきた。修道院には伝統的に薬草の使い方などはかなり詳しく伝えられてきた。だが病気の原因を知ることはできず、ただ薬草を使って症状を緩和させるのが精一杯であった。そして病気の原因について疑問を持つことも許されなかった。
ヒポクラテス医学においては、『人間の自然性において』で示されるように、人間は血液、粘液、黄胆汁、黒胆汁の四体液をもち、それらが調和していると健康であるが、どれかが過大、過小または遊離し孤立した場合、その身体部位が病苦を病むとした。
この考えだと健康を保つためには役立ちますが、実際に病気になってしまってからの有効な治療手段はあまりないですよね。現代の医学は病気の原因を特定してそれを取り除こうとする、そこが大きく違います。
このほか、ヒポクラテス医学における重要な概念の1つが分利である。分利とは病気の進行における段階の1つであり、この段階においては患者が病に屈して死を迎えるか、あるいは反対に自然治癒によって患者が回復するかのいずれかが起こる。
つまり医者は患者が重要な状態、つまり分利の時になっているかどうかはわかるが、その段階で積極的に治療を行って命を助けるというわけではないのですね。なんかモヤモヤします。
あの時代はそれが限界だったのだろう。病気が分利を経て一旦回復した後に再発した場合は、もう一度分利を迎えることになる。分利は罹患して一定期間後にみられる「危篤日」に起こる傾向があることは分かるが、分利が「危篤日」から大きくずれて見られた場合は病気の悪化が懸念される。ガレノスはこれをヒポクラテスの考えであるとしたが、実際にはヒポクラテス以前から存在した可能性が指摘されている。
現代では危篤状態でも延命のための治療がいろいろ行われますが、当時はそうではなく、そしてそれが長く続いたのですね。
ヒポクラテスの施す医術は、人間に備わる「自然治癒力」つまり四体液のバランスをとり治癒する自然の力を引き出すことに焦点をあてたものであり、そのためには「休息、安静が最も重要である」と述べた。
修道院の生活は厳しくなりがちなので、休息や安静を大事にするとはっきり言ってくれたのはいいですね。
さらに、患者の環境を整えて清潔な状態を保ち、適切な食餌をとらせることを重視した。例えば創傷の治療には、きれいな水とワインだけ用いた。その他鎮痛効果のある香油もときに塗布薬として用いられた。
病人だけでなく子供の成長にもそのようなことは大切だと思います。僕のいた修道院の孤児院はニコラス先生のような医者がいたからこそ、よい環境が整えられていました。
「一般」病理学に基づき、「一般」治療を施すとの考え方から、ときには効き目の強い薬を使うこともあったというが、基本的には患者に薬を投与したり、特定の治療法をとることはしないようにしていた。こうした受動的、消極的な治療法は、比較的単純な疾患、例えば骨折の中でも骨格組織を牽引して損傷部位の圧迫を軽減する必要がある場合などには大変効果的であった。『ヒポクラテスのベンチ』や他の器具はこのような目的のため発明され使用された。
中世まではヒポクラテスのいた古代ギリシャとほとんど変わっていない。使用する薬草の種類が増えた位だ。
ヒポクラテス医学の強みのひとつに『予後』を重視したことがあげられる。ヒポクラテスの時代には、薬物による治療は未発達であり、医師のできることといえば病気の程度を診断し、他の症例を参考にして病気の進行を予測することぐらいであった。
ヒポクラテスについての話はまだまだ続きます。
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