45、イスラム医学(3)

文字数 1,134文字

翻訳時代以降、10世紀から11世紀にかけて、アラビアでは多くの医学書が書かれた。アリー・アッタバールやアル・ラージーなどによって、その地方の医学とインドやギリシャ・ローマの医学が融合し、批判を加えつつ進化し、「ユナニ医学」として親しまれた。今日はアル・ラージーについて話をしよう。
作品集は下の画像から入ってください。
アブー・バクル・ムハンマド・イブン・ザカリヤー・ラーズィーは、ペルシャの錬金術師、化学者、哲学者、医師、学者。ラテン語化されたラーゼスでも知られる。
長い名前だ。余には覚えられそうもない。
アブー・ライハーン・アル・ビールーニーによると、ラーズィーはイランのRay(レイ)で865年に生まれ、925年にそこで亡くなった。
紹介している人も長い名前です。
ラーズィーは医学・錬金術・哲学の基礎を作り、貢献した。様々な科学分野で論文を書き、書いた本は記録されているだけでも184冊以上ある。彼はペルシャ、古代ギリシャ、インドの医学にも精通しており、観測や発見によって医学に多くの進歩をもたらした。
そんなにたくさんの本を書いているということは、やっぱりアラビア文字が書いたり読んだりするのに便利な文字だからでしょうか?学び始めたばかりの僕たちにとっては、アラビア文字はとても難しいですけど・・・
アラビア文字は速く書くことができ読みやすい。だからこそ多くの本がアラビア文字で書かれた。
ラーズィーは実用医学の初期の賛成者にして、小児科学の父でもあり、脳神経外科学と眼科学の開拓者でもあった。
医学の話は余にはよくわからない。
錬金術師としてのラーズィーは硫酸の研究を行ったことが、知られている。ラーズィーはエタノールも発見し、医学に用いるためのエタノールの精製も行った。
難しい話です。
『天然痘と麻疹の書』では麻疹と天然痘について記述し、ヨーロッパに大きな影響を与えた。
麻疹も天然痘も歴史の古い深刻な病気です。そうした病気について詳しく書いたというのは素晴らしいです。
『Doubt about Galen』では経験的な方法から四体液説の誤りを初めて証明した。
それも凄いことだと思います。
バグダードに実験室を構えていたラーズィーは広範囲にわたって旅をし、支配者や王子たちに仕えていた。医学の教師としても、ラーズィーはすべての学科の生徒たちに愛され、患者が貧しかろうと金持ちであろうと情け深く接した。
医学を志した人は信じている宗教に関係なく神を敬い、人間を大切にしています。
現代のテヘランにあるRazi InstituteやケルマンシャーにあるRazi Universityは、ラーズィーの名から取られたものであり、毎年8月27日は「ラーズィーの日」(医学の日)に定められている。
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