27、ディオスコリデス(5)

文字数 985文字

最後にディオスコリデスの写本について話をしよう。
作品集には下の画像から入ってください。
ディオスコリデスの『薬物誌』は何世紀もの間、薬草学の普及に力を入れていた修道院で写本が作られ、ギリシア語版以外にもラテン語訳が少なくとも7種類、アラビア語訳が3種類、それ以外に8か国以上に翻訳された。
僕のいた修道院の図書館にもラテン語訳のだけでなくて、ギリシャ語版、アラビア語訳のものまでありました。
『薬物誌』のような本は写本を作る過程で本の内容を覚え、多くのことを学べる。
正直言って僕はじっと黙って写本をする時間は苦手でした。
修道院で大人の修道士の人はよく写本をしていましたが、僕達孤児院の子供は、畑仕事や家畜の世話をすることが多かったです。
それらの写本にはしばしば注釈が書き加えられたり、アラビアやインドの文献に由来する若干の増補がなされた。特にアラビア由来の加筆部分はイスラム圏の薬草学の進歩を反映している。庭園史研究家のペネロピ・ホブハウスは異なる時代の写本が少なくとも23冊残っていると述べている。
ガレノスの著作の多くが1度アラビア語に翻訳されてそれからラテン語に訳されたのに比べ、ディオスコリデスの本は修道院での写本という形で伝えられていました。
挿絵の付いた写本が多く残っており、その一部は古く5世紀から7世紀にまで遡る。写本には『薬物誌』に忠実な並びの第1群と、アルファベット順に並べ替えた「ディオスコリデス・アルファベティクス」系統の第2群の写本がある。
どのような形であれ、写本という作業を通じて古代の貴重な書物が長い時代伝えられてきた。アントニオよ、写本の作業の重要性がよくわかったであろう。
写本の重要性はわかるけど、僕はじっと座って本を写すよりも、外に行って薬草を探したり実際に薬を調合する作業の方が好きでした。
第1群の写本で優れたものは、パリのフランス国立図書館が所蔵する「パリ写本」で羊皮紙製で9世紀のものである。
第2群は西ローマ帝国皇帝オリブリオス帝の娘アニキア・ユリアナに献上された「ウィーン写本」で羊皮紙製で515年頃に作成された。また第1群の写本をウィーン写本と混ぜたものもあり、「アトス写本」(12世紀)と呼ばれる写本がアトス山に残されている。
古い時代に作られた写本がきちんと残っているのがすごいです。
そうした古い時代の写本をぜひこの目で見てみたい。
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