28、四体液説(1)
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体液病理説とは、人間の身体には数種類の体液があり、その調和によって身体と精神の健康が保たれ、バランスが崩れると病気になるとする考え方で、古代インド(アーユルヴェーダ)やギリシャで唱えられた。インドからギリシャに伝わったとも言われる。
四体液説は、西洋で広く行われたギリシャ・アラビア医学(ユナニ医学)の根幹をなしており、19世紀の病理解剖学の誕生まで支持された。どの体液が優位であるかは、人の気質・体質に大きく影響すると考えられ、四体液説と占星術が結び付けられ広い分野に影響を与えた。
体液は体中に偏在しているため、体液病理説とはすなわち全体観の医学だった。病気は一つなので、病気はどこにあるか、病気はなんであるかという問いはあまり重視されず、診るべき対象は患者の体全体であると考えられた。
古代ギリシャ医学をまとめた『ヒポクラテス全集』の論文を見ると、病気の経過について詳細な記録が残されているが、病名はほとんど記されていないことがわかる。体液病理説のヒポクラテスはコス派というグループに属しており、ライバルにあたるクニドス派は、病気の所在は身体の個体部分、つまり臓器にあるとする個体病理説(または局在病理説、臓器病理説)だった。