54、イブン・スィーナー(7)

文字数 843文字

イブン・スィーナーについての続きです。作品集は下の画像から入って下さい。
イスファハーンに移住したイブン・スィーナーは政務から退いて著述に専念したいと考えていたが、イスファハーンの君主アラー・ウッダウラは彼を宰相に登用したため、願いはかなわなかった。イブン・スィーナーはアラー・ウッダウラに科学や文学についての助言を行い、また遠征に随行した。アラー・ウッダウラの遠征に従軍した時には、馬上で書記に口述筆記をさせて著作を書き進めた。この時期の軍事遠征への参加は『治癒の書』の植物学と動物学の章の完成に寄与する。
あらゆることを知り、また自分の知識を全て書き残したいという強い執念を感じます。
1030年、イスファハーンはガズナ朝の君主マスウード1世の攻撃を受け、イブン・スィーナーは蔵書を含む所有物を奪われる。この時、かって書き上げた『公正な判断の書』が散逸する。病に倒れた時、奴隷に大量のアヘンを飲まされて財産のほとんどを奪われ、最後まで窮乏から立ち直ることができなかった。
かなり酷い目にあっていますね。
アラビア文字の連結形は身をかがめ、形を変えてでも先へと進んでいる。この男の不屈の精神もアラビア文字によって育まれたに違いない。
日々の激務に体を蝕まれたイブン・スィーナーは腹痛に苦しむようになり、自身に施した浣腸などの治療によって、容体はますます悪化していく。1037年にイブン・スィーナーはアラー・ウッダウラのハマダーン遠征に同行し、行軍中に病に倒れる。死の2週間前、イブン・スィーナーは一切の治療を拒み、貧者に施しを与えて所有していた奴隷を解放し、毎日クルアーンを朗読していたと伝えられている。同年6月18日にイブン・スィーナーはハマダーンで生涯を終える。死因は胃癌(あるいは赤痢)だと考えられており、没時のイブン・スィーナーに家族は無かった。
僕にはここまで壮絶な生き方はできそうにありません。それでも伝えられてきた知識を学んで医者になり、病に苦しむ人を1人でも多く救いたいと思います。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

背景色
  • 生成り
  • 水色