52、イブン・スィーナー(5)

文字数 1,015文字

イブン・スィーナーについての続きです。作品集は下の画像から入ってください。
イブン・スィーナーはホラズム地方のウルゲンチの統治者マームーン2世に仕官し、法律顧問として活躍する傍らで『医学典範』の執筆を開始する。
祖国を離れて法律顧問として活躍しながら医学の本を書く、随分複雑なことをしていますね。
ウルゲンチ滞在中、ホラズム出身の学者ビールーニーと交流を持ち、書簡を通して宇宙論と物理学についての討論を行った。ビールーニーとのやり取りは『問答集』という書物に記録されており、その中では若年期のイブン・スィーナーの知見を垣間見ることができる。
直接会うのではなく書簡を通して討論を行うというのは、相当知識がないとできないことですよね。
1012年にサーマーン朝を滅ぼしたカズナ朝のマフムードがイブン・スィーナーらホラズムの学者たちに出仕を要請したが、イブン・スィーナーは要求を拒む。
ガズナ朝のマフムードはしつこい性格なのでしょうか?
マームーン2世はガズナ朝の使者が訪れる前にイブン・スィーナーに路銀と案内人を与えて密かに逃がし、かくしてイブン・スィーナーはホラズムから立ち去ることになった。ガズナのマフムードはイブン・スィーナーの逃亡に怒り、各地の王侯に彼の捜索を要求する触れ書きを出した。
やっぱりガズナのマフムードはしつこいですね。
ニーシャープールを経て、イブン・スィーナーは放浪の末にカスピ海近くのジュルジャーンに居を定める。ジュルジャーンを訪れる前にスーフィーの聖者イブン・アビ=ル=ハイルに面会し、ジュルジャーンを統治するズィヤール朝の君主カーブースの庇護を求めている旨を伝えた。しかし、ジュルジャーンに到着した時には既にカーブースは没していた。失意に沈んだ彼は一時隠遁生活を送るが、この地で愛弟子のアル・ジュジャーニーと出会うことになる。
本当に目まぐるしい人生ですね。
アル・ジュジャニーは常にイブン・スィーナーと行動を共にし、彼の伝記を書き上げた。ジュルジャーンでイブン・スィーナーは論理学と天文学を教授し、『医学典範』の第一部を執筆した。1014年にテヘラン近郊のレイに移り、多忙な生活の合間を縫って30ほどの小編を書き上げた。やがてレイが戦禍に見舞われると、ブワイフ朝が統治するハマダーンに逃れた。
いろいろな王朝の名前が出てきてわけがわからなくなってきた。
イブン・スィーナーはいろいろな王朝が争う大変な時代に生きていたのですね。
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