46、イスラム医学(4)

文字数 994文字

医者ではないが、ラーズィーについて書き、イブン・スィーナーとも交流があったビールーニーについてここで紹介しよう。
作品集は下の画像から入ってください。
ビールーニーによって描かれた月の満ち欠け(月相)における大地から見た太陽光によって生じる光っている部分と影の部分との対応関係を示した図。右の右のやや大きめの円が太陽。左の大円の周囲に配された小円は地球を公転する月のそれぞれの位置を示し、赤い直線が陽光などの光線を表す。『占星術教程の書』(ペルシア語版)より、と書いてありました。
アブー・ライハーン・ムハンマド・イブン・アフマド・アル=ビールーニー・アル=フワーリズミー(973年ー1048年)は10世紀のホラズム出身の学者。数学、天文、地理、歴史にわたって100篇を超える著書があったと見られる。現伝するのはそのうち30篇弱。代表的な著書としては、歴史書『過去の足跡』、地理書『インド誌』、精密科学書『占星術要約』、百科全書『マスウード宝典』があり、20世紀前半のアラビア科学研究における権威ジョージ・サートンは11世紀前半を「ビールーニーの時代」と呼んだ。
また覚えにくい長い名前が出てきた。
アル=ガダンファルによると、ビールーニーはヒジュラ暦362年巡礼月の3日(西暦973年9月4日)に、ホラズムの首府カースの「ビールーン」で生まれたという。ここで言う「ホラズム」は4世紀からホラーサーン地方に存在した王朝、アフリーグ朝を指し、「ビールーン」とは(アラビア語ではなく)ペルシャ語で「郊外」を意味する普通名詞である。なお、カースは20世紀ソ連の考古学的調査により、現在のウズベキスタン領内から城址が発掘され、近くにある街の名前が本項のビールーニーに敬意を示してベールーニーに改称された。
よくわからないけど、すごい人のようです。
アブー・ナスル・マンスールの下で数学を学び、イラン、中央アジアの各地を遊歴した。イブン・スィーナー(アウィケンナ)とも交流を持った。
なに!アウィケンナとも交流があったのか。
ニコラさんはアウィケンナの名前が出ると目付きが変わります。
サーマーン朝の君主マンスール2世やホラズム・シャーのマアムーンなどに仕えたが、ガズナ朝がマー・ワラー・アンナフルを征服するとこれに仕えるようになった。1000年頃、後にゾロアスター教の重要な資料となる『古代諸民族年代記』を執筆した。
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