33、四体液説(6)
文字数 1,118文字
ユナニ医学はギリシャ・ローマ医学をベースにしつつも、さらに発展させた。『ガレノスに対する疑念』でアル・ラーズィーは臨床経験と錬金術の実験を通し、ガレノスの発熱に関する説明や、四体液説、四大元素説に批判を加えた。
ラーズィーは医学、錬金術、哲学の基礎を作り、貢献しました。様々な科学分野で論文を書き、書いた本は記録されているだけでも184冊以上ありました。彼はペルシャ、古代ギリシャ、インドの医学にも精通して、観測や発見によって医学に多くの進歩をもたらしました。そして経験的な方法から四体液説の誤りを初めて証明しました。
イブン・スィーナーはガレノスの医学をベースに、『医学典範』をまとめたが、血液が唯一の自然な体液だとするガレノス医学の考えには同意しなかった。スィーナーは、血液が腐敗・希薄化・濃縮化などで変化したものが、粘液、黄胆汁、黒胆汁だと考えたが、四体液はすべて必要なもので、各々に「自然的」「不自然的」の2つの状態があるのだとした。体の各器官によって成分、性状が違うのだから、固さや柔らかさといった違いをもたらす他の体液も不可欠だと考えたのである。
11世紀に入ると、十字軍が編成されエルサレムに進軍し、ヨーロッパはアラビア世界に接触した。アラビアの進んだ文化がヨーロッパに伝えられ、サレルノ医学校の教師だったモンテ・カッシーノ修道院のコンスタンティヌス・アフリカヌスなどが、アラビア語の医学書をラテン語に翻訳し、その知識はヨーロッパに再びもたらされた。